文という慰安婦の郵便貯金には
昭和18年に、毎月500円を超える額の貯金がなされてる。
昭和18年の、30代半ばの農協職員の月給が80円だ。
今でいう女子高生が、30代おじさんの月給の6倍のカネを毎月貯金していたわけだ。
もちろん、使わない金を貯金していたのであるから
実際にもらっていたのはもっと多いだろう。
現代で、例えば月給30万だと考えると、
未成年の女子高生が、毎月180万、貯金していたのと同じなわけだ。
毎月200万以上は稼いでるという事になる。
これが高給でないと考える人はまずいない。
しかしそれだと、慰安婦が奴隷なのだと主張する人には都合が悪い。
だから、慰安婦に支払われたのは軍票だ、軍票は紙くず同然なのだという理屈で
実は、慰安婦はただ同然で働かされたのだという主張をするのが、
まことしやかに囁かれる作法になってる。
しかしこれは違う。
まず、文の貯金通帳。
ここに書いてるのは円だ。
国会の郵政委員会での討議をみても、
郵便貯金は円建てとしっかり発言されている。
南方で使われてたのは軍票で、軍票にはルピーと書いてあって
しかしみんな、1ルピーを1円と呼称していた。
だから、500円というのは500ルピーのことであり、
500ルピーなんて紙くずだから、慰安婦の郵便貯金に書いてある500円も500ルピーで紙くずだ。
…というのが、だいたいの主張になるわけだが、
しかし、郵便貯金に書いてある500円は、500ルピーでなくて500円なのだ。
だから、文の郵便貯金にある2万円少々は、紙くずではなく、正真正銘、内地で2万円として通用する円なのだ。
これは当時としては、やっぱり大金といっていい。
ええ?
軍票は紙くずじゃないの?
と思った人は、中途半端にしか事情を知らない。
まず、基本的に、軍票1ルピーは、内地の1円と等価であるというのが大原則。
次に、軍票の1ルピーを、軍事郵便貯金に貯金すると、その場で内地の1円に変換されて記載される。
郵便貯金は基本的に、それぞれの外地で管理するのではなく、
内地の資金管理部に資金回収して一括運用するしくみだからそうなる。
東京で貯金しても、大阪で貯金しても、財布は一緒だから
東京で貯金した二万円は、大阪でも二万円として引き出せる。
それと同じで、
戦地で貯金しても、東京で貯金しても、財布は一緒だから
戦地で貯金した二万円は、東京でも二万円として引き出せる。
そういう仕組みなのだ。
しかし軍票は紙くずだったとどこにも書いてある!
そう、それは事実。
現地で買い物する限りは、紙くずだった。
が、1円=1ルピーで等価交換するのであるから、
現地では暴落したルピー軍票も、郵便貯金などにいれてしまえば内地と同じ価値の円になってしまうのである。
慰安婦らが、稼いだ金を現地で使おうとすれば、物価が高騰していたから
ぜいたく品はだんだん、買いにくくなったかもしれない。
しかし慰安婦の食事等は、慰安所の楼主が配給していたし、
慰安婦はその気になれば、現地で使う金を切り詰めて貯金に回せたわけだ。
そして、一旦、貯金になれば、それは内地の価値をもつ円になる。
慰安婦らは戦地で骨をうずめたいわけではなく、
故郷にかえって暮らしたいわけだから
現地で使えない金だとしても、内地で大金に化けるならそれでよかったわけだ。
こういうわけで、
軍票はインフレで暴落していたのは確かだが
慰安婦は大金を稼げていたと言うことになる。
余った稼ぎを故郷に送金もしくは貯金する事を考えるなら、
やっぱり慰安婦は高給取りであったという事になるわけだ。