今日ニュースを見ていて、反原発デモに参加されている人たちのことが取り上げられていました。
そこに、南相馬市の黒木さんという女性が参加されていました。
黒木さんの家は原発から15キロというところにあり、今も避難所生活なのだそうです。
「原発を安全だと言うなら、政治家の方にでも電力会社の醸造部の方にでも家をお貸ししますからどうぞ住んで下さい。」
という冷静ながらも大変強い思いの籠った言葉に、この方の苦しみを感じずにはおれませんでした。
この方以外にも、南相馬から避難された方がニュースに映っていらっしゃいましたが、
その方たちが口々に言う「バラバラになった」という言葉がとても印象的でした。
今関西で平和に暮らしている私には想像することも難しいことです。
でももし今この家を突然に出なければならないことになって、1年以上もその「自分の家」に帰れず、自分の家族、親しい友人、自分が大切にしているものと引き離され「バラバラ」にされたら・・・。
そんなことを考えると、その苦しみ・不安は想像を絶するものだと思います。
しかし彼らの思い、私たち国民の思いはなかなか政治家には届きません。
この国に住んでいるのは私たち。でも動かしているのは政治家。
何か国民の抗議行動を見ても「どうせ政治家は国民の声なんて興味がないよ・・」という目で見てしまいます。
参政権はあっても、全然国を動かすことに自分は関係していないという意識になりがちです。
けれどもうそういう時ではないのでしょう。
と言うより、「どうせ国民の声なんて届かないよ」と鼻で笑われようが、
もう人々は黙っていられなくなったのです。
関西で節電目標を達成したことで、「これは、人々がライフスタイルを変える決意をしたと言えるかもしれない」とテレビで言っている人がありました。
(どなたか覚えておらず恐縮です)
不便にどこまで耐えられるか。もう恵まれすぎた生活の中の自分には耐えがたいことかもしれません。
けれど便利を求めすぎるが故に何か大きなものを失っている。
科学の発展に頼りすぎて、方向がずれていっているのではないか。
未来の子供たちのために何を残すべきか迫られた人々がある意味選択したものだと私も思います。
そんなことを考えさせられた今日のニュースでした。
そこに、南相馬市の黒木さんという女性が参加されていました。
黒木さんの家は原発から15キロというところにあり、今も避難所生活なのだそうです。
「原発を安全だと言うなら、政治家の方にでも電力会社の醸造部の方にでも家をお貸ししますからどうぞ住んで下さい。」
という冷静ながらも大変強い思いの籠った言葉に、この方の苦しみを感じずにはおれませんでした。
この方以外にも、南相馬から避難された方がニュースに映っていらっしゃいましたが、
その方たちが口々に言う「バラバラになった」という言葉がとても印象的でした。
今関西で平和に暮らしている私には想像することも難しいことです。
でももし今この家を突然に出なければならないことになって、1年以上もその「自分の家」に帰れず、自分の家族、親しい友人、自分が大切にしているものと引き離され「バラバラ」にされたら・・・。
そんなことを考えると、その苦しみ・不安は想像を絶するものだと思います。
しかし彼らの思い、私たち国民の思いはなかなか政治家には届きません。
この国に住んでいるのは私たち。でも動かしているのは政治家。
何か国民の抗議行動を見ても「どうせ政治家は国民の声なんて興味がないよ・・」という目で見てしまいます。
参政権はあっても、全然国を動かすことに自分は関係していないという意識になりがちです。
けれどもうそういう時ではないのでしょう。
と言うより、「どうせ国民の声なんて届かないよ」と鼻で笑われようが、
もう人々は黙っていられなくなったのです。
関西で節電目標を達成したことで、「これは、人々がライフスタイルを変える決意をしたと言えるかもしれない」とテレビで言っている人がありました。
(どなたか覚えておらず恐縮です)
不便にどこまで耐えられるか。もう恵まれすぎた生活の中の自分には耐えがたいことかもしれません。
けれど便利を求めすぎるが故に何か大きなものを失っている。
科学の発展に頼りすぎて、方向がずれていっているのではないか。
未来の子供たちのために何を残すべきか迫られた人々がある意味選択したものだと私も思います。
そんなことを考えさせられた今日のニュースでした。