最近、海外の友人と久々にメールのやりとりをしていて、メールって便利だなあとしみじみ感じたとき、「今もまだ海外文通ってあるのかな」とふと思いました。
というのも、私が幼いころ初めて英語に触れたのが海外文通だったからです。
とかく外国への憧れがあり、外国の言語を話せたらかっこいいかなあなんていうミーハーな気持ちが出てきた頃だったのですが、英会話教室のたぐいは経済的な理由からか許可してもらえず、そんな中で何かいいものはないかと考え子供ながらに「安い方法」を探し、たどり着いたのが海外文通でした。
今もまだあるのかは不明ですが、PECという名前の団体だったと思います。その頃は少女向けの雑誌によく広告が載っていました。
ひと月500円程度の会費で、海外から文通相手を探してくれたり、簡単なサポートをしてくれるというものでした。
このとき母が私に初めて与えてくれた辞書のことを今でも覚えています。赤の表紙で、今思えばとても薄いものでした。
初めての海外文通の相手はアメリカに済むアメリカンアフリカン(ハーフ)の女の子だったのですが、ミーハーな気持ちがあるだけで全く英語を習ったこともない私に、母は辞書を引くことや英文を作るのをよくサポートしてくれました。
このときはそれが当然だと思っておりましたが、今思えばそれは母にとって簡単なことではなかったろうと思います。
それから徐々に私は自分一人で英文を書くようになりました。
と言っても飛躍的に能力がついたのではありません。その頃には、"この例文を組み合わせて手紙を書こう!"というような「虎の巻」的な本を入手しておりましたから、Aという単語をBに書き換えるだけで、色んなバリエーションの英文を作ることができました。
慣れてくるとそれがとても楽しくなり、韓国・リトアニア・香港・モロッコ・ガーナなど、色んな人とやりとりするようになりました。
文通ですので今のメールのように送ってすぐ届くというものでもありませんでしたし、何せ私にとって英文を書くのは簡単な作業ではなかったのでいつの間にかどちらからというでもなく文通は途絶えてしまいましたが、その頃は毎日楽しみにポストを覗くのが、文字通り私の"日課"でした。
あの頃のことを思うと、今の「EMAIL」なんていうものは夢のようです。
これは海外文通に限った話ではなく、考えてみれば、メールが普及してから私たちは字を書くこと自体機会が減りました。年賀状を書くこともほとんどなくなりましたし、手書きしていた日記はやめ、ブログをつけるようになりました。
しかし、昔友達と毎日のようにああでもないこうでもないと好きなことを書きあっていた交換日記や、授業中に先生の目を盗んで書いていた手紙などを時折見つけると、あんな「アナログ」も悪くなかったなあと懐かしく思ったりします。
誕生日や記念日に、思わぬお祝いのカードや手紙をもらうと、何かプレゼントをもらうより嬉しい気持ちになることもあります。
私たちは何か、手作りの作品に人の心を感じ愛着がわくように、手紙にもデジタルにはない"その人の心"を感じるのでしょう。
今では、海外文通をやめてしまいました。
お礼の手紙も、メールで済ますことが増えてしまいました。
けれどやはり、特別な日には、特別な人には、手書きの手紙を送りたいものです。
今回自分が紙雑貨中心のお店を開いたことをきっかけに、書くことが楽しくなるようなものを是非集めていきたい。
そう思っています。
というのも、私が幼いころ初めて英語に触れたのが海外文通だったからです。
とかく外国への憧れがあり、外国の言語を話せたらかっこいいかなあなんていうミーハーな気持ちが出てきた頃だったのですが、英会話教室のたぐいは経済的な理由からか許可してもらえず、そんな中で何かいいものはないかと考え子供ながらに「安い方法」を探し、たどり着いたのが海外文通でした。
今もまだあるのかは不明ですが、PECという名前の団体だったと思います。その頃は少女向けの雑誌によく広告が載っていました。
ひと月500円程度の会費で、海外から文通相手を探してくれたり、簡単なサポートをしてくれるというものでした。
このとき母が私に初めて与えてくれた辞書のことを今でも覚えています。赤の表紙で、今思えばとても薄いものでした。
初めての海外文通の相手はアメリカに済むアメリカンアフリカン(ハーフ)の女の子だったのですが、ミーハーな気持ちがあるだけで全く英語を習ったこともない私に、母は辞書を引くことや英文を作るのをよくサポートしてくれました。
このときはそれが当然だと思っておりましたが、今思えばそれは母にとって簡単なことではなかったろうと思います。
それから徐々に私は自分一人で英文を書くようになりました。
と言っても飛躍的に能力がついたのではありません。その頃には、"この例文を組み合わせて手紙を書こう!"というような「虎の巻」的な本を入手しておりましたから、Aという単語をBに書き換えるだけで、色んなバリエーションの英文を作ることができました。
慣れてくるとそれがとても楽しくなり、韓国・リトアニア・香港・モロッコ・ガーナなど、色んな人とやりとりするようになりました。
文通ですので今のメールのように送ってすぐ届くというものでもありませんでしたし、何せ私にとって英文を書くのは簡単な作業ではなかったのでいつの間にかどちらからというでもなく文通は途絶えてしまいましたが、その頃は毎日楽しみにポストを覗くのが、文字通り私の"日課"でした。
あの頃のことを思うと、今の「EMAIL」なんていうものは夢のようです。
これは海外文通に限った話ではなく、考えてみれば、メールが普及してから私たちは字を書くこと自体機会が減りました。年賀状を書くこともほとんどなくなりましたし、手書きしていた日記はやめ、ブログをつけるようになりました。
しかし、昔友達と毎日のようにああでもないこうでもないと好きなことを書きあっていた交換日記や、授業中に先生の目を盗んで書いていた手紙などを時折見つけると、あんな「アナログ」も悪くなかったなあと懐かしく思ったりします。
誕生日や記念日に、思わぬお祝いのカードや手紙をもらうと、何かプレゼントをもらうより嬉しい気持ちになることもあります。
私たちは何か、手作りの作品に人の心を感じ愛着がわくように、手紙にもデジタルにはない"その人の心"を感じるのでしょう。
今では、海外文通をやめてしまいました。
お礼の手紙も、メールで済ますことが増えてしまいました。
けれどやはり、特別な日には、特別な人には、手書きの手紙を送りたいものです。
今回自分が紙雑貨中心のお店を開いたことをきっかけに、書くことが楽しくなるようなものを是非集めていきたい。
そう思っています。