今日は私がお世話になっている音楽教室のピアノ発表会でした。

発表会と言っても今回はあまり大きな催しではなく参加者も限られていたのですが、いつもながらなぜあんなに自分が緊張するのか、未だに理解できません・・。

会場に到着する前までは、どうせ誰も見ていないんだ!!と強く念じて勇ましい気持ちで向かっていくのですが、ピアノの前に座ると足も手もガタガタ言っているのです。
あれがなきゃあ私ももうちょっと上手に弾けるのに、と言いたいところですが、それも言い訳で結局それが実力なのでしょう。

今回は大きな失敗はなかったのですが、緊張のせいで終始指が転び隣の鍵盤をたたいてしまったり、なんだかふわふわした音になってしっかり弾けていない音が多かったように思います。

弾き終わったあとは数分間、緊張から解放された後の胃痛にしばらく苦しみました。

皆さんが弾き終わったあと、先生は「放心状態で言葉が出ないのですが・・」と言ってらっしゃいました。

これを聞いて私はご自分の生徒さんの発表を見る気持ちは格別だろうなあと思いました。
(生徒の私が言うのもおかしいですが)

皆さん、披露されていた曲はそれぞれでレベルも色々でしたが、
どこかのコンクールにでも出るのかと思うくらい上手な子供さんや、堂々と弾いていて見た目にも印象的だったとても上手な学生さん。そして、大人になってから習い始めたのかなあ・・という感じで、慣れないピアノを一生懸命弾いている方。
みなそれぞれに印象的でした。

私は発表会の前日はいつも自信がなくなり「なぜ出るなんて言ってしまったのだろう」といつも悔んでいるのですが、それでもやっぱり時折は自分に緊張を与えたり、普段はしないことに挑戦してみたり、そういうことが必要なのだと思います。

先生は、発表会の後にお茶を用意して下さっていました。
私は知っている人がいなかったので、殆どどなたとも会話できなかったのですが、それでもこういった心遣いをして下さったことをとても嬉しく思いました。

もしこのブログを読んで下さった方で、ピアノを習おうか悩んでいる方があれば、是非今からでもはじめてみられてはどうでしょうか。

私は最近まで、「上手に弾く」ということを誤解していました。
何かものすごい技術を身につけて、すごいスピードで弾く、聴いた人が圧倒されるようなテクニックを見せつける、そんなことだろうと思っていました。

でも実際にはそれは違います。もちろんそれもすごいことですが、聴いた人に「すごいなあ」という印象を与えることと、「良かったなあ」と思わせることは全く別です。

こちらの教室で習い始めてから、私も、「上手い」と思われるより、「良かったなあ、印象的だったなあ」と思われる演奏をしたいと思うようになりました。
そして、そういう演奏は、技術とは違うところで作られる部分も大きいと思います。その人の人柄であるとか、その曲への想いであるとか、今までの経験であるとか。
もちろん技術が伴っている演奏をしたい、とは思いますが、人を感動させる音楽はいつも「上手い」とは別のところにあるように思います。

子供の頃に習っていた先生が、「同じ曲だけど、大人になって弾いたらまた全然違うと思うよ」と仰っていた意味が今はよくわかります。

だから、音楽を始めるのに遅いということはないと思います[:楽しい:]

そんなわけで、ひとまず今日という一日が終わって今の気持ちは「ホッ」・・です。

次からはまた、新しい曲に挑戦したいと思います。



にほんブログ村 雑貨ブログ 輸入雑貨へ
にほんブログ村


ブログランキングに参加しています。クリックのご協力をお願いいたします。