アヒルとこぶたのグリーンロード ―こぶた祭り編―


 赴任して三年目の春の朝。新米化学教師、浅賀順一は三本目の短くなった煙草を灰皿にねじり潰した。月曜日の一時限、彼が行う授業は無い。また何処かの担任というわけでもないので、この時間はこれから来るであろう疲労のための蓄えとして、生徒にヤニ臭いといわれない程度に煙草を吸うのが彼の日課である。
「そう言や、今日眠れるお姫様が珍しく朝一番に登校してたよな」
 喫煙席の向かいに座る体育教師が、ふと思い出したように浅賀に話しかけた。
「眠り姫? 誰すか、そんな御伽噺の主人公が、こんな学校にいるとは思いませんがね?」
 怪訝そうな視線をその教師に送り、頬を支えていた肘を机から離し膝の上で組むと、田舎学校の教師浅賀は肩をすくめる。それに体育教師は、「おや?」という顔を見せた。
「浅賀、お前知らんのか? 眠れるお姫様を」
「そんな幸せそうな名前―――聞いたことはありますが」
 知らない、という言葉を飲み込んで、脱色し茶色の柔らかそうな見た目を持つ髪をそっと指で梳いた浅賀の頭に、ここで過ごした三年間で確かそんな名前が時々他の教師の口から漏れていた会話が思い出される。
 聞き覚えはあるのだ、その単語に。

 眠れるお姫様は今日もぐっすりお休みだったよ。
 あまりにも幸せそうだから、起こせませんよねぇ。
 あら、私は起こしますよ。起こしたら結構素直に授業を聞くようになりますから。
 おいおい、知らないのか。その後すぐに授業受ける振りして、寝てるんだぜ?

 無意識のうちに覚えていた会話をリピートし終えた浅賀へ、タイミングよく体育教師―――杉田玄は何処か苦笑混じりに答えた。
「まあお前は高校しか接点無かったからな、知らないのも無理は無い」
「中学生なんスか」
「おぅ……あ、今年高一だ。だからお前も教えるようになるよ」
「化学をとればね。……そう言えば、杉田先生。一限、授業入ってませんでした?」
 軽い言葉でその会話を終了させた浅賀は、ふと杉田の頭上にある壁時計を一瞥し、驚いたように目の前の熱血教師を見つめる。すでに担当である高一の体育授業開始時刻から五分過ぎているのだ。生徒だけではなく同僚からも「金八先生」とあだ名をつけられるぐらいのこの男が、自分の授業を放るとは―――今日は槍が降るのか、と考えを進めていた浅賀に、目の前で杉田はニヤリと悪戯っぽく口元を歪めた。
「お前忘れたのか? 今日はこぶた祭りだぜ」
「―――ああ」
 そう言うと同時に立ち上がった杉田に、浅賀も納得顔になると立ち上がる。
 この田舎学校―――十字軍学校は、ここ近辺まれに見る中高一貫の共学の学校、しかも寮つきと言う、少々違うことに無駄に金を使い気味の学校だ。名前に軍がつくのは、ここは元軍施設だったという歴史が有るからだそうだ。山中だからわからないわけではないが、現在の学校に使う名前だろうか、と浅賀は理解に苦しんでいる。
そしてクーラーのつかない教室に不平を漏らす生徒の意見は流し、この学校は毎年毎年面白いイベントをやってのける。
 それの一つが、この「こぶた祭り」だ。
 この十字軍学校には、流石山中というべきか、動物がかなり豊富にいる。野生にいるのとほぼ変わらないのではないか、と思うほどに。確か飼育は主にアニマル研究部とか言う得体の知れない研究部が主に行っているそうだが、こぶただけはこの学校の設立当初からいる由緒正しき動物らしい。噂では戦争中、食料にされていたとかいないとか。
 そしてこのこぶた祭りと言うのは、毎年高校に上がったばかりの一年生に押し付ける厄介なイベントだ。この職員室の前方は広いグラウンドと、その両脇に子豚用と親豚用に分かれている宿舎がある。そこは百五十メートルほど離れているのだが、毎年春、小さめの子豚用の宿舎から、親豚用の宿舎にお引越しをする時期があり、その作業とその後に行われる雑用を通称「こぶた祭り」と皆呼ぶのだ。高校に上がれば必ず待っているこの行事のために、わざわざ辛い受験を選ぶ子もいるらしいが、将来的にもそれがいいだろうと浅賀は思っている。豚の運び方なんぞより、化学公式の一つも覚えて欲しいもんだ。
 だがその日の午前中の授業は大抵が潰れてしまう。何せこぶたが暴れる暴れる。一度浅賀も赴任一年目に強制的に参加を食らったのだが、その見た目にそぐわぬ重さや、可愛らしい顔をしておきつつも憎たらしく暴れるその子豚に手を焼きかね、ワザと皆に聞こえるように「このこぶた、焼いたら美味そうだよな」と言って、有難い強制退去をいただいたのだ。
 その様子を、我々残る教師は眺め楽しみ、上級生も下級生も、またそれを受け持つ教師も正直授業をそっちのけでそちらに気をとられている。
他のものにとっては楽しいが、当事者にとってはたまらないイベントは、こうして部外者の楽しみのために成り立っているといっても良い。
「眠れるお姫様もじゃあ出るかな」
「ふーん……」
 面白そうに言った杉田とは真逆、興味なさそうに下唇を尖らした浅賀。だが去年同様やる事無いので、ニヤニヤしながら外を見る杉田の隣で窓枠に肘をつけると、集まり始めた他の教師同様生徒が集まり始めたグラウンドに目を向けた。
「あ、来たわよお姫様」
 隣に現れた音楽女教師が、他の女教師ときゃっきゃっと指を指しては笑っている。華飛び散るその光景に思わず鼻の下を伸ばしかけながらも、浅賀は何気なくその指を指す方向を見つめてみた。
「……」
 一年ごとに色が変わり、六年で一巡するツナギを着た生徒達が、中学生の頃毎年見てきたその光景に、ドキドキと期待と不安を持ち合わせた顔色をしつつ、男女それぞれが友達と戯れていた。今年のツナギの青色に埋もれるグラウンド内で、浅賀の目を留めたのはそんな中一人でぽつんと立っている生徒の存在だった。
 収まりの悪いらしい短い黒髪が所々はねている。何処か冷めた厳しい視線はこれから行く子豚宿舎に向かっていた。そんな目とは対照的に、だらけたように片手をポケットに突っ込み、もう片手で噛み殺そうとしている欠伸を覆い隠している―――あれが噂の眠れるお姫様なのだろう。
(お姫様なんて柄じゃねェよな)
 あまり期待はしていなかったが、あまりにも期待はずれな姿に、浅賀は密かに溜息をついた。
「先生、彼女だよ、眠れるお姫様」
「ああ…そうみたいすね……」
「何だ、その顔は」
 子豚宿舎に入ってしまった生徒を見届けながら、こちらも見ない癖して言った杉田に、浅賀は感情の籠らない声で答える。
「お姫様ってのは、可愛いもんでしょう? あの子を可愛いとは思えませんがね」
「あら、可愛いわよ? あの子は」
 その言葉に納得いかない、と音楽教師はこちらに厚化粧気味の顔を向け反論した。そちらに浅賀が顔を向けたときには、女同士で「ねぇー」なんて頷きあっている。女とはこういうものだ。どこか呆れた気持ちでそれを見ていたが、男教師の「おー」と言う声が上がり、今度はそちらにも顔を向ける。が、男共はそれに気付かない様子で子豚宿舎を見つめていた。
「……」
 それにならい無言で視線を子豚宿舎に向ける。わらわらと子豚を抱えた生徒が出てきたのだ。
 そしてすぐに、子豚たちが暴れまわる。華奢な腕から抜け出し、校庭を思う存分走りまくる。鍛え上げられた男の手でさえ、一匹、二匹を捕まえているのがやっとのこの行事。初々しい生徒達が可愛いと口々に言い始めた教師達の言葉に、これでまたこの行事が終止符を打つことはないのだろうと浅賀は確信する。
 だがその慌てる様子を見ていれば、やはり顔はにやけてしまうもので。逃げた子豚を追いかけ右往左往動き回る生徒の、毎年毎年変わらないその様子を楽しんでみていた浅賀だった―――が、次に見た光景に唖然としてしまった。
「……は?」
 その口から出たのは実に間抜けな声だと思う。
 あの眠れるお姫様が、豚を追い掛け回す生徒達の間を縫い、何事も問題ない顔つきでてくてくと歩いているのだ。それだけならまだしも、その肩腕には三匹―――両腕に六匹も抱えてしまっている。またその肩の上も一匹気持ち良さそうに子豚が占拠しているではないか。
「…………はい?」
「やっぱ流石だな、お姫様は」
 幻覚ではないかと目を擦り、かかる前髪をかきあげてまで確かめる浅賀の隣で、妙に納得顔で杉田が顎を摩り唸る。その言葉を聞き逃さず、浅賀は驚きに見開いた目を杉田に向けた。
「やっぱ?」
「そうとも、彼女は―――」
 漸く関心を向けた浅賀に、満足そうな笑みを浮かべた杉田は、要らぬウインクつきで同僚への言葉をこう締めくくった。
「真野漣。アニマル研究部きっての逸材だよ」
 その言葉に、浅賀は視線を戻す。
 アニマル研究部きっての逸材―――真野は、すでにもう親豚宿舎に行って来たのか、手ぶらでまたもと来た道を戻っている。その途中、子豚が真野の足元に擦り寄った。それに気付き見下ろすと大人しくなった子豚を拾い上げ、追いかけてきた男子生徒に手渡すと、逃げない抱き方などの指導をしているのか、二人で話し込んでいる。少ししてから、男子生徒は手を振り真野に礼を言ったようだ。にこやかに笑った彼は真野に教わった方法で子豚を抱えると、暴れはしたものの落ちることは出来ないそれをさっさと運ぼうと早足で親豚宿舎へ向かった。
「……」
 その時、浅賀は煙草を吸っていなくて良かった、と思った。
 そんな彼に、真野の無表情な顔が微か和み―――不器用ながらにも、柔らかく微笑んだかのように見えたのだ。
「可愛いわよねェ、あの顔」
 煙草を吸っていたならば、今頃放心しこの白衣に焼け焦げをつけるところだった、という浅賀を現実に引き戻したのは、隣の音楽教師の声だった。気付けば隣の女教師たちが口々に感想を言っている。
(…カワイイ、のか…?)
 背に冷や汗を感じつつ、再び合計7匹の子豚を抱える真野を見た。だがすでにその顔はストイックな無表情になっている。
 それをじーっと目を奪われたかのように見つめていた浅賀に、音楽教師は話しかけた。
「いつもああいう顔でしょう? だけどそれだからこそ、ほんのたまに見せる顔がまたカワイイのよ」
「はぁ……」
 それに曖昧に返すが、すでに関心は彼女へと移っている。魂の籠らない答えになってしまった。
「眠ってるときとか、幸せそうだもんねー」
「そうそう、それで起きたときのとろんとした顔もまた良いのよねぇ?」
「それが作られた養殖ものじゃなく、天然なのが羨ましいわ」
 終いには頬に手を付きはぁと溜息を漏らす女教師の言葉に、再び「ねぇー」と高い声が複数同調した。
「…」
 浅賀は困ったようにした唇を突き出すと、子豚を楽々運ぶ真野から目をそらす。
 前言撤回。起きるとき美人ならお姫様でもいいかも。
「どうだ? お前、彼女に化学選ばせたいだろ?」
「…はぁ」
 ニィと口角を上げた杉田の問いに、今度ばかしは魂の籠った、それでも曖昧な答えを浅賀は返した。
「だけどあいつ、絶対生物選ぶでしょう……」
「ま、そうだろうけどな。人生には色々あンのよ……例え嫌いな教科でも、先生が好きだったら、選ぶだろうしな?」
「……アホ言わないでください」
 まだ会ったことすらないと言うのに。溜息を漏らしそうな唇を噤み、浅賀はもう一度真野に視線を戻した。
 相変わらずストイックな無表情に、何処か冷めた視線という可愛らしさ欠片も無い容姿だったが―――面白い。そう思えるようになったのは、きっと何かの前兆だろう。
 何故自分があんなことでこんな興味を持つか、なんてのはわからない。わからないからこそ、自分は惹かれているのだ、と今ははっきり自覚している。
「…真野、漣ねぇ…」
 その名前を一度だけ呟いて、浅賀はその口元に、少しだけ笑みを浮かべた。

 その後の「こぶた祭り」は、例年よりも二時間ほど早く終わった、という事実は言うまでも無く、眠れるお姫様が目覚め力を開花させたからだった。そして再び姫は百年の眠りに―――つきはしなかった。

 彼と彼女の初めての出会いは百年もたたず、すぐに訪れることになる。
 「動物使い」が行方不明になった、という話で。


 「こぶた祭り」編終了。

ここは、加里未羅がお送りする小説ブログです。

自分は中々努力しても成果が実らない人間なので(単に努力不足と言う点もありますが)、何もしなくとも出来てしまう人をとても羨ましく思います。

そんなことを思ってから書きはじめているものです。

もし同じように思ってくださる方がいたら、是非読んでくださいませ。

コメントも是非よろしくお願いいたします。