金曜日気づいたんだけど、、、
病院に行って、
ムーミン先生のまえで話すとき、
わたしが考えてること、話していること、コトバにしたこと、
コトバの最後に
「言ってること通じるかなあ?」
「言いたいことわかってくれるかなあ?」
「私の言ってることへんかなあ?」

と、先生に確認している自分がいる。
癖になっちゃったのかなあ?

その言いたいことをコトバを発するときにも、
「多分普通の人だったらみんなこう思うと思うんだけど......」

とかいって口火をきる。

自分に自信がないけど、おそらく「へん」
と思われていないかを確認してるんだと思う。
発してる自分は確かに自信がないものの固まりで、いまは、途方に暮れるばかり。
文章にするのは好きなんだけど。。。。。話すというのは苦手。

金曜日、先生に呼ばれて診察室入って、
しばらく、。。。。。。。
怖くて、息震えてた。
何聞かれてもコトバがでなくてだんまり。
うんもすんも言えなくて、、、、、、、

仕方なく、言いたいこと詰まってるスケッチブックを先生に見せたら、、、、、
「自分のコトバで言ってみー」
と言われた。

だからすこしづつ、コトバをさがしてスケッチブックみながらコトバにした。
話がベラベラとスムースにはでないので(わたしは生粋の日本人です!)
自己表現ベタなのです。

内に秘めちゃうタイプなのです。。。。。。。
(ちなみに感情表現も下手。怒れない。泣けない。表せば楽だろうにな。)


小さな頃、高校ぐらいまではおしゃべりすきだった。おませさんだったかな。
パパ、ママはむかしのわたしにはやく戻ってほしいなあという元気さんだった。
いつも自然に楽しいことは素直に楽しんで、悲しいことは素直に泣いて、周りの雰囲気までも変えちゃう明るいわたしがいた。
もともと根っからの明るさの持ち主なのです。
でも、集団行動にがてー。
(5年生のとき初めての学校で行ったキャンプの前日まで楽しみにしてルンルンだったのに当日の朝、やけに高い熱だして。キャンプお泊まりできなくなってキャンプが大っ嫌いになった。6年生のとき夏休み町の主催のキャンプに無理矢理行かされ「絶対帰ってくるから」とママに宣言し、夜中に脱走をはかり山のなかのキャンプ場から夜中じゅう歩いて早朝自宅に帰ってきたのです。そのときの堂々としたわたし。自分でも今考えるとすごいと思う。よく脱走したなあ~ってこんなことがありました。)



やせだしたのは高校一年のとき。近所のおばさんたちが通学しているわたしの激やせに気づいた。
別に鈍感で、トランペット吹いて腹筋使ってるからかなと思ってた。いい運動じゃん!って感じののんきな女子高生でした。
でも、今考えると、よく思い出すと、高校一年のときからなんだか全く食欲なく、たっぷり疲れて、。。。
高校2年のときなんて、家に帰って食事もできなくて眠くないのに横になり、動けなくて、すごくだるさがあった。ママは覚えてると思う。
三年のときは部活のことでいつも気を張りつめてた。
自分の体のことかまってやれなくて、とうとう定期演奏会の前から熱だして、ムーミン先生に学校行っちゃダメ!っていわれながら内緒で、部活に行く。トランペットのパートリーダーと生徒指揮だったから何が何でも行かなくちゃならなかった。ふらふらで譜面台に寄りかかりながら指揮台に立ってタクト振ってた。
熱がさがらなくて病院に制服姿で朝練おわって出かけたら先生に学校行く気バレバレで、、、
演奏会もダメ!と言われイヤ!って言った。
演奏会を終わってもなかなか熱下がらなくてドクターストップ。
「4.5日やすみましょう!」
と血液検査の結果の用紙に書かれてしまった。

だから、からだ変だったのって高校一年のときからか?
(今書いてて思った。)

食べても太れないからだ。

周りからやせてるやせてるいわれてた。
ダイエットなんて考えたことなく、やせていく。
周りの声が刺さる。

逆流するようになったのは、大学2年の夏のおわり。いつもおなかいっぱい状態。
変だぞと思うけどなんかだれにも言えない気がして。

当時◯◯◯というコトバがちまたではやり始めていたときで、
ここで言ったらその病気に決まってると言われそうで。

専門書の類のものはだいたい一般向けのものから専門家向けまで、本屋さん、キャンパスのなかに医学部があったから大学図書館で端から端まで至るものを読んだ。
でもこれじゃないと思っていた。本に書いてあるのとちがう。意識してる訳じゃない。

やせたいとか思ったことなんかなくむしろふとらないとヤバいと思うくらいで。



だれにも言えないことだった。
いったらすぐその病気になっちゃいそうで。こわかった。

打ち明けたのは、おしっこの蛋白がたっぷり出ちゃった健康診断で診察してくれた大学病院の先生。
腎臓内科の先生で、健康診断でたっぷり出ちゃった蛋白にびっくりした先生が次の日外来に来い!と言うので
行った。初診なのに、受付して座る場所探して座ろうとしたら呼ばれて「待ってましたー」と検査してくれて、、、、、、結果異常がないけどなんか変。
しばらく様子見で通ってた。

ある日、凹んでるようにみえたのかなにかわたしの困ってる隠し事を気づかれてしまった。
「なんか悩んでることでもある?」とか聞いてくれた。
もう話し時かなとこの先生なら話してもいいかなと思った。
かなり親切で親身になってくれた。
しばらく相談に乗ってもらってた。
そのあたりで電車に乗れなくなった。
心の先生のところに行ってみない?と言われた。
「いやだ」の一点張り。だった。でももう妥協しないとかなと自分ではどうもできなくなっていたから。黙ってるのは疲れた。
フォーローしてもらえたらのキモチでその先生は言ってくれた。
学生の特権なのか?その先生のたよりにしてる心の専門の先生にわたしのはなしをしてくれて、
嫌だのキモチを汲んでくれて医局に気楽においで~と言ってくれその先生と出会った。
今までよく黙ってひとりで悩んできたねとねぎらいのお言葉をいただいたけど
案の定、絶対されるであろうとおもったその病気としてその時点で確定的になり、
外来に通うことになった。待合室の奥に診察室がある。
外来はなんだか冷たく殺風景。
はじめは粋な計らいで誰もいなくなった時間に講義の合間に通った。
ただ効き目をはなして薬もらいにいくだけ。
しばらくして、普通にいくようになった。
どうしても待合室に入れない。待ってる間、時間見計らって図書館まであるいたり廊下にいた。
そのドクターが連れにきてくれて一緒に診察室に入っていた。
でも、わたしは、いつでもちがうとじぶんに言い聞かせていた。

こんなキモチがイヤで、でもなんとかしたい思いで、
実家に帰り、かかりつけてたムーミン先生のところに相談に行ったのは、「もう助けてー!」の想いしかなかった。
それが実習はじまる直前。
サポートしてもらうようになって、

そののち、、、、、
このねぎらいのお言葉をかけてくれたドクターには「良くなってないね」
と捨て台詞をはかれてポイッとされた。

カウンセリングをすすめられたが泣いて拒否!
ポイとされた。



次第に。。。。。「病気」となり、7年。。。今はその◯◯◯は、はっきり否定してもらい、
スッッキリしたのだけど、、、、、、、
こころの病気ではなく、からだの病気はつづいてるけど(ムーミン先生曰く心とからだは切り離せない。のはわかるんだけど、、、そういうことあってわかってるつもりでも切り離して言うことにしている。そうしないと自分が自身で納得しない。そういうところこだわる。)



というわけで思い出してみました。
しっかりおなかの病気に落ち着いてよかったよかった。けど、闘病はつづいてるわけで、、、、
早く元気になりたい。結構つらいです。



この病気になってわたしの自己表現は自信のなさのかたまりとなり、


「第一次途方に暮れ期」(←今、勝手につけたわたし語です。)、
大学のとき通学の電車に小田急の急行25分間に乗れなくて、各停で一駅一駅おりて休んで何時間もかかって通ったことがあったり、でも引きこもりたくなくて大学までたどり着き事情を知る友達と挨拶かわして帰ってく自分で決めた目標をこなしてた。そういう日々もあった。
その後もいったい何度「途方に暮れ期」を経験してるかはわからないけど。。。
それが多分初めての「途方に暮れ期。」
それから暗いトンネルのなかをさまよってる。うしろめたいことはいっさいないのに悪者にされたこともあったり(おもいだしたくないことです)

一時バルタン先生のコトバ巧みと、温泉にすくわれたけど、なんか全然一時的だったのかな。それでもそれでよかったと思わなくちゃ。明るい兆しをくれたから。。


だんだんいろんなこと、制限、いろいろできなくなり、
自分は自分とか思う自信はいつの間にかどこへやら~。

自信がないから、確認しちゃってるんだとおもいます。


ひさしぶりにおもいだしました。