皆様、お久しぶりです。
もう何ヶ月も更新していない状態で、たぶんこれからもほとんど書くことは無いとは思いますが、学生の頃に書きためたまま放置していた分だけでも仕上げてアップしたいと思い立った次第です
随分前に書いたマイケルのルーツ~モータウン編~の続きですが、これまたえらい長いので、覚悟して下さい(笑)
それではどうぞっ
ここからはマイケルの自伝「MOONWALK」からの引用です
「I carefully watched all the stars because I wanted to learn as much as I chould. I'd stare at their feet, the way they held their arms, the way they gripped a microphone,trying to decipher what they were doing and why they were doing it.
出来るだけのことを学びたかったから、僕は全てのスターたちを注意深く観察していた。彼らの足、腕の伸ばし方、マイクの握り方をじっと見つめ、彼らがすることや何故そうするのかを読み解いていた。」
マイケルはJackson5として活動している時、出番が終わっても自分の好きなスター達のパフォーマンスをずっと観察していたそうです。
そこでマイケルはただ動作を真似るのではなく、彼らが何を想い、何を表現しているのかを感じ取っていたからこそ、自分のスタイルを築き上げることが出来たんだと思います。
~ モータウン時代にはジェームズ・ブラウンやジャッキー・ウィルソン、サム&デイブ(Sam & Dave)やオージェイズ(O'Jays)から様々なことを学んだ ~
彼らの代名詞とも言える、とても有名な曲です。
サム&デイブ「Hold On I'm Coming」
サム&デイブのサム・ムーア(sam moore)と父親のジョーが仲良くなり、マイケルは初めてサムに会った時に彼がとても良くしてくれて嬉しかったと回想しています。
オージェイズで「Backstabber」
「わっでぃどぅー(What they do)」ってフレーズに聞き覚えがある方も多いかもしれません!
~ スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ(Smokey Robinson & The Miracles)の「Tracks of My Tears」「Ooo, Baby Baby」は兄弟と共によく聴いていた ~
スモーキーはモータウンの創設に関わり、長年副社長を勤めた人物で、「We Are The World」のコーラスとしても参加しています!
マイケルはサミーと出会った時の衝撃をこのように述べています。
「スモーキー・ロビンソンと初めて会って握手したときは、まるで王様と握手しているようだった。スターを目の前に僕の目は輝いて、母が教えてくれた『彼の手は枕みたいに柔らかいのよ。』という言葉を思い出した。(中略) 僕は歩き回って、「彼の手はとっても柔らかい」って言ったんだ。ばかげて聞こえるけど、それがとても印象的だった。」
「Tracks of My Tears」
「Ooo, Baby Baby」
スモーキーは作曲家としても大変優れており、自身の楽曲はもちろんモータウンの様々な歌手に提供した楽曲も名曲揃いです。
テンプテーションズ(The Temptations)の「My Girl」や自身の「Who's Loving You」はスモーキーが手がけたもので、どちらもJackson5がカバーしています。
スモーキー・ロビンソン「Who's Loving You」
Jackson5「Who's Loving You」
「自分のコンサートでこの曲を歌うと、若い人たちに『マイケルの曲を歌うんですね』と言われる」とマイケルの追悼式で語り、笑いを誘っていたスモーキーが印象的です。。。
このスピーチの素晴らしい訳を書いて下さっている方がいらっしゃいますので、合わせて載せさせて頂きますm(__)m
http://ameblo.jp/mjdaisuki/entry-10377868165.html
~ チャック・ベリー、リトル・リチャード、オーティス・レディング(Otis Redding)らの偉大な初期ロックン・ロールやブルースの曲はジョー(父親)や僕ら兄弟に影響を与えた ~
チャック・ベリー、リトル・リチャードは前の日記で紹介したので省略します。
オーティス・レディングは、ソウル音楽に多大な影響を及ぼした人物ですが、26歳という若さで航空機事故により亡くなっています。
叫ぶような歌い方がとても印象的です。
「Try A Little Tenderness」
~ 「ABC」の大ヒット後、自分たちが築いた流行に乗る他のレコード会社のグループを見るようになった。僕は、パートリッジ・ファミリー(Partridge Family)やオズモンズ(Osmonds)、デフランコ・ファミリー(Defranco Family)といった全てのグループを楽しんでいた。彼らは僕らのヒット後すぐにSoulに足を踏み入れたが、僕は気にしなかった。競争は、知っての通り、健全なことだからね。 ~
どちらかというと、これはJackson5が他のグループに与えた影響なわけですが、マイケル自身が彼らとの共演を楽しんでいたようなので載せてみました。
・・・しっかし、完全に意識しすぎだろww と思わず突っ込みたくなります
パートリッジ・ファミリー(The Partridge Family)はアメリカのTVドラマに登場する架空の音楽バンドだったが、人気が出たため実際の活動を始めました。
「I Can Feel your Heartbeat」
オズモンズのこの曲は特にJackson5っぽいです(笑)
「One Bad Apple」
そんなオズモンズのダニー・オズモンド(Donny Osmond)とマイケルがプレゼンターとして共演している貴重映像があります
この白々しい小芝居が好きです(爆)
デフランコ・ファミリー「Heartbeat, Its a Lovebeat」
~ 「Got To Be There」がヒットした1972年にツアーをしていた時のある夜、僕は公演マネージャーに言ったんだ。『その歌を歌う前に、"Got To Be There"のアルバムで被っている小さい帽子を舞台裏へ取りに行って掴むんだ。その帽子をかぶっているのを観客が見たらきっと熱狂するよ。』
それは馬鹿げたアイデアだと言われたが、その後間もなくダニー・オズモンドが似た帽子をかぶり始め、人々はそれを気に入った。マーヴィン・ゲイが「Let's Get It On」を歌う時に帽子をかぶるのを見た。彼らはマーヴィンがそのハットをかぶると何が始まるのか知っていたんだ。僕は自分の直感に自信を持った。~

マイケルが帽子をかぶるのは、観客を興奮させ、もっとショーに参加してもらうことでコミュニケーションを取るためのツールでもあったようです。
確かに、あの黒いハットを掴んだだけで観客は次の曲が分かるし、テンションが最高潮になるもんね
他のアーティストのそういったパフォーマンスもしっかりチェックして、何が観客のハートを掴むのかをしっかり考えていたということが伺えるエピソードです。
でも、先を越された時は悔しかったんやないんかな(笑)
さて、ここで名前が挙げられたマーヴィン・ゲイですが、マイケルと彼はよく共通点を語られます。
マーヴィンは、厳格な牧師である父親からの執拗なまでのしつけや精神的・身体的な虐待、宗教的な育ち方、劣悪なスラム街の環境の中、普通の子供時代を楽しむことが出来なかったと自身で語っています。
父親の虐待によってマーヴィンは孤独で情緒不安定な青年へと成長し、ショービズで成功をおさめた後も自信喪失によるステージ恐怖症に悩まされることとなりました。
さらに外へ出ればそこには酷い人種差別が彼を待ち受けており、彼は常に恐怖や怒りの感情を抱いていたそうです。
このような幼少期に受けた心の傷は生涯にわたってマーヴィンの人生を苦しめ、さらに栄光を手にしたがゆえの数多くのスキャンダルにも悩まされた結果、精神的プレッシャーから逃れるためにドラッグに手を出すこととなりました。
マーヴィンは父親についてこのように語っています。
「父親の愛情を得ることが僕の子供時代の究極の目標だったとしても、僕は反抗した。彼のやり方が嫌いだった。僕は歌うことで父の愛情を勝ち取れると思った。だから、心の底から歌ったよ。だが、上手くなればなるほど、彼の要求は大きくなった。」
父親からのプレッシャーに悩まされながらも父親の愛情を欲した彼の人生は、確かにどこかマイケルの人生と重なってしまいます・・・。
ただ皮肉なことに、そういった苦悩や心の傷が偉大な音楽を生むのかもしれないですね。
「Let's Get It On」
1968にマーヴィンが出したシングル「Ain't Nothing Like the Real Thing」はJackson5がカバーしています。
マーヴィンは戦争や貧困などの社会問題をテーマにしたアルバム「What's Going On」を1971年にセルフ・プロデュースでリリースしていますが、これは当時この様な問題に対してナイーブになっていたモータウンにおいてとても画期的なことだったそうです。
この様なマーヴィンの行動に触発され、後にダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダーもより自身の世界観を表現した意欲的な作品を発表するようになりました。
この様な流れは、マイケルや兄弟たちにもきっと影響を与えたことと思います。
アルバム「What's Going On」から、同名シングルの「What's Going On」と「What's Happening Brother」です。
ちなみに、「What's Going On」は、山下達郎さんの大好きな曲で、彼もよく歌っていました。
同じくアルバム「What's Going On」から「Save The Children」です。
一部歌詞を抜粋します。
Who really cares?
To save a world in despair
誰が本気で気にかけるだろう?
絶望の中で世界を救うことを
Little children today are really gonna suffer tomorrow
Oh what a shame, such a bad way to live
今日の小さい子供達は明日苦しむだろう
なんと恥ずべきことだ、そんな酷い生き方
Live life for the children
Oh, for the children
You see, let's save the children
子供たちのために生きるんだ
あぁ、子供たちのために
分かってるだろ?子供たちを救おう
Yea, save our sweet world
そう、僕らの素晴らしい世界を救おう
一時期はどん底にいたマーヴィンですが、後援者などの助けも借りてその後復活を果たします。
マイケルが「Man In The Mirror」を披露した1983年のグラミー賞授賞式ではマイケルやスティービー・ワンダーを抑え見事グラミー賞を受賞し、大ヒットアルバムからカットされた彼の最後のシングル「Sexual Healing」を披露しました。
しかしなんとも悲しいことに、この翌年の4月1日に自宅で父親と口論になり、逆上した父親によって射殺されてしまいます。
その日は自身の誕生日の前日であり、その銃はマーヴィンがプレゼントしたものだったそうです。
マーヴィンは、マイケルについてこのように語っていたそうです。
「あの子の歌には、雰囲気としての切なさではなく、本物の感動を呼び起こすクオリティがある。
いつだってそれを失わないんだ。どんなジャンルであろうが、あの子の歌の根本にはいつもブルースがあるんだ。」
こちらは西寺さんの本に書いてあったことですが、Queenのフレディ・マーキュリーや、アダム&ジ・アンツ(Adam and the Ants)のヴォーカルのアダム・アント(Adam Ant) からも影響を受けていました。
フレディとのことは以前少し日記に書きました。
http://ameblo.jp/smallend/entry-10365776965.html
マイケルは彼から、音楽作りはもちろん、衣装やステージ・パフォーマンスなどにいたるまで多大な影響を受けました。
こちらは、海賊ファッションで人気を博したアダム&ジ・アンツの「Kings of the Wild Frontier」です。
マイケルの王族ファッションは、まさにここから影響を受けていますね
もちろん、ポール・マッカートニーからの影響も忘れてはいけません!(←忘れかけてた)
もともとマイケルはビートルズのファンであり(「All I Need Is Love」が好きだったと何処かで聞いた)、「作曲の勉強をしたい」とマイケルがポールに言ったところから親交が始まりました。
ポールがマイケルのために書いた「Girlfriend」をきっかけに、その後の共演作「Girl Is Mine」、「Say Say Say」、「The Man」が生まれたのです。
その中からあまり知られていない(かもしれない)「The Man」をどうぞ
版権の問題で不仲だの色々言われましたが、マイケルが亡くなった後のポールのコメントを読めばそれがメディアお得意のでっち上げだったと分かります。
http://www.barks.jp/news/?id=1000050936
「つい最近メディアは、マイケルが僕にビートルズの版権を譲ると遺言に記したらしいとの考えを思いついたが、それは完全に作り話で、僕は一瞬たりとも信じなかった。そしていま、彼が版権を残さなかったことで僕がショックを受けていると伝えられている。最初の報道が事実だとは少しも考えたことがなかったので、僕がショックを受けているというのはまったくの事実無根だ。だから、言われていることを信じないでくれ! マイケルと僕は実際、何年にも渡って疎遠になってはいたが、仲違いしていたわけではない。こういうとき、メディアはいろんな話をでっちあげようとする。だから時として、僕は記録を正しておくべきだと感じることがある」
「(マイケルの死は)ものすごく悲しく、ショックだ。マイケルと一緒に仕事をし、親しくできたのを名誉だったと思っている。彼は優しい心を持った、才能あふれる青年だった。彼の音楽は永遠に残る。彼との思い出は楽しいものだった」
また、「Wanna Be Startin' Somethin'」はカメルーンのサックス奏者マヌディバンゴ (Manu Dibango)の「Soul Makossa」というアフリカン・ソウルのナンバーからインスパイアされており、自分たちのルーツであると何度も語っていたアフリカの音楽の影響も受けていたと考えられます。
ちなみに、"Ma ma se ma ma sa ma ma coo sa"は"踊っちゃう"という意味を含んだカメルーン語だそうです
さて、ここで後回しにしてきたモータウンの先輩方をご紹介します
まずは、【スティービー・ワンダー】です。
彼も10代の頃からモータウンのスターであり、マイケルと非常に親交がありました。
マイケルは、スティービーが曲作りを行なう過程を見学させてくれたことをとても素晴らしい体験だったと語っており、この経験から音楽作りの楽しさやノウハウを知りました。

まず、マイケルのアルバム「Off The Wall」では「I Can't Help It」を楽曲提供しています。
この曲でのマイケルの息づかいやリズム感、艶のある声は本当に聴いていて心地よいです
スティービーが歌う「I Can't Help It」
Montreal International Jazz Festivalでマイケルへのトリビュートとして歌った時のものです。
しかし実はそれ以前にもJackson5に楽曲提供をしているのですが、1974年にリリースされるはずがお蔵入りになってしまったそうです。。。
スティービー臭がプンプンする名曲やのになんで・・・?(←その言い方やめい)
しかし、昨年の11月に発売されたJackson5未発表曲集に収録されました!
http://www.amazon.co.jp/Want-You-Back-Unreleased-Masters/dp/B002PQ1PDI
「Buttercup」
スティービーのアルバム「Hotter than July」の中の「All I Do」という曲では、マイケルがバック・コーラスを担当しています
もう、めちゃくちゃいい曲です
共演作も2曲あります
「Just Good Friends」
「ぶわっだ!!!」でおなじみのこの曲(爆)大好きです
最初に聴いたときは、あまりのマイケルのはじけっぷりに吹きましたww
「Get It」
こちらは、マイケルが歌う「Heal The World」に合わせてノリノリなスティービーです(笑)
マイケルの歌をとても愛していることが分かります
またスティービーは、エミネムがマイケルを皮肉ったPVを作った時に先頭をきってエミネムを非難した人物でもあります。
彼が普段使わないような"bullshit (でたらめ、ふざけるな)"という言葉を使ったことからも、スティービーの怒りとマイケルへの愛が伝わってきます。
このことに対してマイケルは、次のようにスティービーへの気持ちを述べています。
「エミネム氏にはお会いしたことがありません。それでもいつも彼に敬意を払ってきたつもりだったのですが・・・。アーティストとして他のアーティストにそういう事をするのは本当に傷つく。悲しいことです。スティーヴィー・ワンダーが言った事も事実、的を得ていると思います。僕はこれ以上あまり話したくありませんが・・・。彼(エミネム)は自分がしたことに対して恥じるべきです。スティーヴィーは "bullshit" とまで言いましたから。スティービーにこんな言葉を使わせるなんて。確かに彼はそう言いました。僕は言うつもりはないですが、スティーヴィーはあえて使ってくれました。スティーヴィーは世界で最も素敵な人物の1人です。 」
「スティーヴィー・ワンダーは大好きだ。僕にとって、彼は音楽の預言者だ。僕はいつも彼を慕ってきました。多くの人々がスティーヴィーを尊敬しているし、この業界において彼の存在は偉大だ。彼が話をするとみんな真剣に耳を傾けます。エミネムがしたことは間違いです。僕は人生のほとんどをアーティストとしてやってきましたが、他のアーティストを攻撃した事はありません。偉大なアーティストはそんな事はしないですね。する必要がないのです。 」
昨年の11月29日にロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)の25周年記念公演でもスティービーはマイケルへのトリビュートを行なっています。
途中で感極まって歌えなくなるスティービーにもらい泣きしてしまいました。。。
「The Way You Make Me Feel」
そして最後は【ジェームズ・ブラウン】です。
「ジェームズ・ブラウンからステップや低いうめき声、スピン、ターンの全てを学んだ。
彼のようにパフォーマンスする人物を見た事が無い。」
とマイケルは自伝で述べています。
おそらくマイケルが今まで数多くインタビューをされてきた中で、「誰に影響を受けたか?」という質問に対して最も多く名前を挙げたのがこの人物でしょう。
「ジェームズ・ブラウンは天才だと思う!特にフェイマス・フレイムズ時代はね。」
とマイケルがおっしゃってるので、まずはフェイマス・フレイムズ時代の曲をお届けします
「Out Of Sight」
マイケルやプリンスがJBのダンスに夢中になるのも分かります!!
どれだけ彼の影響を受けているのかも、このダンスを見ればよく分かります!!
え~、こちらはぶっ飛んでおります(爆)
こりゃあチビマイコーもくぎづけになるっしょ!!
「NIGHT TRAIN」
この曲では、JBが観客を盛り上げるために考案したという"マント・ショウ"がお決まりです
力尽きて倒れこむジェームズにお付きの人がマントをかけ、労をねぎらいながら舞台袖へ連れていこうとしたら・・・ジェームズがマントを払って再び歌い出す!!・・・んでまた倒れてマントかける、を繰り返すパフォーマンスなのです
「PLEASE PLEASE PLEASE」
「Black Or White」の撮影裏でジョン・ランディス監督に「見ろよ、ジェームズ・ブラウンが居るのか?(ジェームズ・ブラウンのつもりかよ!)」ってからかわれて監督をバシバシたたいてるマイコーが可愛すぎて萌えるんですが(←)、ジャケットをマントみたいに羽織ってるマイケルを"マント・ショー"に見立ててからかってたんですね
あ、知らんかったのうちだけ・・・?(汗)
5:44~ の場面です
ちなみに、私はこの曲がJBの曲の中で一番好きです
↓
あ、ど~でもいいですね(笑)
でも最近CMで使われててやたらテンション上がっちゃいます
「It's A Man's World」
そしてあまりに有名なマイコーとJBの共演!!
余談ですが、この時ステージへと向かうマイケルの背中をそっと後押ししていたのはマイケルが子供の頃からのマネージャーであるビル・ブレイ(Bill Bray)です。
彼は私生活でも常にマイケルと一緒に行動しており、マイケルが一番心から信頼していたマネージャーであり、父親のような存在でした。


話はそれましたが、JBはやはりマイコーにとって一番の憧れであり、JBにとってもマイコーは最高に可愛い兄弟のような存在だったんでしょうね。
マイコーがあの裁判後にバーレーンで暮らしていたときも、「いつでも帰ってこい」と優しく見守っていてくれていました。
そんな伝説の2人の絆を表した素晴らしい動画があがっていたのでご紹介します(^^)
とまぁ、調べただけでもマイケルのルーツには数えきれない程の偉大なミュージシャン、特にモータウンの先輩方が関わっていたんですね
さて、もうすぐマイコーの一周忌。
時が経つのは本当に早いですね・・・。
でも、今頃マイコーはお空で偉大な先輩型と楽しく過ごしてるかな?
今年の6月25日には、またBEAT ITを踊ってこようと思います。
それでは皆様、長い文章にお付き合い下さってありがとうございましたm(__)m
もう何ヶ月も更新していない状態で、たぶんこれからもほとんど書くことは無いとは思いますが、学生の頃に書きためたまま放置していた分だけでも仕上げてアップしたいと思い立った次第です

随分前に書いたマイケルのルーツ~モータウン編~の続きですが、これまたえらい長いので、覚悟して下さい(笑)
それではどうぞっ

ここからはマイケルの自伝「MOONWALK」からの引用です

「I carefully watched all the stars because I wanted to learn as much as I chould. I'd stare at their feet, the way they held their arms, the way they gripped a microphone,trying to decipher what they were doing and why they were doing it.
出来るだけのことを学びたかったから、僕は全てのスターたちを注意深く観察していた。彼らの足、腕の伸ばし方、マイクの握り方をじっと見つめ、彼らがすることや何故そうするのかを読み解いていた。」
マイケルはJackson5として活動している時、出番が終わっても自分の好きなスター達のパフォーマンスをずっと観察していたそうです。
そこでマイケルはただ動作を真似るのではなく、彼らが何を想い、何を表現しているのかを感じ取っていたからこそ、自分のスタイルを築き上げることが出来たんだと思います。
~ モータウン時代にはジェームズ・ブラウンやジャッキー・ウィルソン、サム&デイブ(Sam & Dave)やオージェイズ(O'Jays)から様々なことを学んだ ~
彼らの代名詞とも言える、とても有名な曲です。
サム&デイブ「Hold On I'm Coming」
サム&デイブのサム・ムーア(sam moore)と父親のジョーが仲良くなり、マイケルは初めてサムに会った時に彼がとても良くしてくれて嬉しかったと回想しています。
オージェイズで「Backstabber」
「わっでぃどぅー(What they do)」ってフレーズに聞き覚えがある方も多いかもしれません!
~ スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ(Smokey Robinson & The Miracles)の「Tracks of My Tears」「Ooo, Baby Baby」は兄弟と共によく聴いていた ~
スモーキーはモータウンの創設に関わり、長年副社長を勤めた人物で、「We Are The World」のコーラスとしても参加しています!
マイケルはサミーと出会った時の衝撃をこのように述べています。
「スモーキー・ロビンソンと初めて会って握手したときは、まるで王様と握手しているようだった。スターを目の前に僕の目は輝いて、母が教えてくれた『彼の手は枕みたいに柔らかいのよ。』という言葉を思い出した。(中略) 僕は歩き回って、「彼の手はとっても柔らかい」って言ったんだ。ばかげて聞こえるけど、それがとても印象的だった。」
「Tracks of My Tears」
「Ooo, Baby Baby」
スモーキーは作曲家としても大変優れており、自身の楽曲はもちろんモータウンの様々な歌手に提供した楽曲も名曲揃いです。
テンプテーションズ(The Temptations)の「My Girl」や自身の「Who's Loving You」はスモーキーが手がけたもので、どちらもJackson5がカバーしています。
スモーキー・ロビンソン「Who's Loving You」
Jackson5「Who's Loving You」
「自分のコンサートでこの曲を歌うと、若い人たちに『マイケルの曲を歌うんですね』と言われる」とマイケルの追悼式で語り、笑いを誘っていたスモーキーが印象的です。。。
このスピーチの素晴らしい訳を書いて下さっている方がいらっしゃいますので、合わせて載せさせて頂きますm(__)m
http://ameblo.jp/mjdaisuki/entry-10377868165.html
~ チャック・ベリー、リトル・リチャード、オーティス・レディング(Otis Redding)らの偉大な初期ロックン・ロールやブルースの曲はジョー(父親)や僕ら兄弟に影響を与えた ~
チャック・ベリー、リトル・リチャードは前の日記で紹介したので省略します。
オーティス・レディングは、ソウル音楽に多大な影響を及ぼした人物ですが、26歳という若さで航空機事故により亡くなっています。
叫ぶような歌い方がとても印象的です。
「Try A Little Tenderness」
~ 「ABC」の大ヒット後、自分たちが築いた流行に乗る他のレコード会社のグループを見るようになった。僕は、パートリッジ・ファミリー(Partridge Family)やオズモンズ(Osmonds)、デフランコ・ファミリー(Defranco Family)といった全てのグループを楽しんでいた。彼らは僕らのヒット後すぐにSoulに足を踏み入れたが、僕は気にしなかった。競争は、知っての通り、健全なことだからね。 ~
どちらかというと、これはJackson5が他のグループに与えた影響なわけですが、マイケル自身が彼らとの共演を楽しんでいたようなので載せてみました。
・・・しっかし、完全に意識しすぎだろww と思わず突っ込みたくなります

パートリッジ・ファミリー(The Partridge Family)はアメリカのTVドラマに登場する架空の音楽バンドだったが、人気が出たため実際の活動を始めました。
「I Can Feel your Heartbeat」
オズモンズのこの曲は特にJackson5っぽいです(笑)
「One Bad Apple」
そんなオズモンズのダニー・オズモンド(Donny Osmond)とマイケルがプレゼンターとして共演している貴重映像があります

この白々しい小芝居が好きです(爆)
デフランコ・ファミリー「Heartbeat, Its a Lovebeat」
~ 「Got To Be There」がヒットした1972年にツアーをしていた時のある夜、僕は公演マネージャーに言ったんだ。『その歌を歌う前に、"Got To Be There"のアルバムで被っている小さい帽子を舞台裏へ取りに行って掴むんだ。その帽子をかぶっているのを観客が見たらきっと熱狂するよ。』
それは馬鹿げたアイデアだと言われたが、その後間もなくダニー・オズモンドが似た帽子をかぶり始め、人々はそれを気に入った。マーヴィン・ゲイが「Let's Get It On」を歌う時に帽子をかぶるのを見た。彼らはマーヴィンがそのハットをかぶると何が始まるのか知っていたんだ。僕は自分の直感に自信を持った。~

マイケルが帽子をかぶるのは、観客を興奮させ、もっとショーに参加してもらうことでコミュニケーションを取るためのツールでもあったようです。
確かに、あの黒いハットを掴んだだけで観客は次の曲が分かるし、テンションが最高潮になるもんね

他のアーティストのそういったパフォーマンスもしっかりチェックして、何が観客のハートを掴むのかをしっかり考えていたということが伺えるエピソードです。
でも、先を越された時は悔しかったんやないんかな(笑)
さて、ここで名前が挙げられたマーヴィン・ゲイですが、マイケルと彼はよく共通点を語られます。
マーヴィンは、厳格な牧師である父親からの執拗なまでのしつけや精神的・身体的な虐待、宗教的な育ち方、劣悪なスラム街の環境の中、普通の子供時代を楽しむことが出来なかったと自身で語っています。
父親の虐待によってマーヴィンは孤独で情緒不安定な青年へと成長し、ショービズで成功をおさめた後も自信喪失によるステージ恐怖症に悩まされることとなりました。
さらに外へ出ればそこには酷い人種差別が彼を待ち受けており、彼は常に恐怖や怒りの感情を抱いていたそうです。
このような幼少期に受けた心の傷は生涯にわたってマーヴィンの人生を苦しめ、さらに栄光を手にしたがゆえの数多くのスキャンダルにも悩まされた結果、精神的プレッシャーから逃れるためにドラッグに手を出すこととなりました。
マーヴィンは父親についてこのように語っています。
「父親の愛情を得ることが僕の子供時代の究極の目標だったとしても、僕は反抗した。彼のやり方が嫌いだった。僕は歌うことで父の愛情を勝ち取れると思った。だから、心の底から歌ったよ。だが、上手くなればなるほど、彼の要求は大きくなった。」
父親からのプレッシャーに悩まされながらも父親の愛情を欲した彼の人生は、確かにどこかマイケルの人生と重なってしまいます・・・。
ただ皮肉なことに、そういった苦悩や心の傷が偉大な音楽を生むのかもしれないですね。
「Let's Get It On」
1968にマーヴィンが出したシングル「Ain't Nothing Like the Real Thing」はJackson5がカバーしています。
マーヴィンは戦争や貧困などの社会問題をテーマにしたアルバム「What's Going On」を1971年にセルフ・プロデュースでリリースしていますが、これは当時この様な問題に対してナイーブになっていたモータウンにおいてとても画期的なことだったそうです。
この様なマーヴィンの行動に触発され、後にダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダーもより自身の世界観を表現した意欲的な作品を発表するようになりました。
この様な流れは、マイケルや兄弟たちにもきっと影響を与えたことと思います。
アルバム「What's Going On」から、同名シングルの「What's Going On」と「What's Happening Brother」です。
ちなみに、「What's Going On」は、山下達郎さんの大好きな曲で、彼もよく歌っていました。
同じくアルバム「What's Going On」から「Save The Children」です。
一部歌詞を抜粋します。
Who really cares?
To save a world in despair
誰が本気で気にかけるだろう?
絶望の中で世界を救うことを
Little children today are really gonna suffer tomorrow
Oh what a shame, such a bad way to live
今日の小さい子供達は明日苦しむだろう
なんと恥ずべきことだ、そんな酷い生き方
Live life for the children
Oh, for the children
You see, let's save the children
子供たちのために生きるんだ
あぁ、子供たちのために
分かってるだろ?子供たちを救おう
Yea, save our sweet world
そう、僕らの素晴らしい世界を救おう
一時期はどん底にいたマーヴィンですが、後援者などの助けも借りてその後復活を果たします。
マイケルが「Man In The Mirror」を披露した1983年のグラミー賞授賞式ではマイケルやスティービー・ワンダーを抑え見事グラミー賞を受賞し、大ヒットアルバムからカットされた彼の最後のシングル「Sexual Healing」を披露しました。
しかしなんとも悲しいことに、この翌年の4月1日に自宅で父親と口論になり、逆上した父親によって射殺されてしまいます。
その日は自身の誕生日の前日であり、その銃はマーヴィンがプレゼントしたものだったそうです。
マーヴィンは、マイケルについてこのように語っていたそうです。
「あの子の歌には、雰囲気としての切なさではなく、本物の感動を呼び起こすクオリティがある。
いつだってそれを失わないんだ。どんなジャンルであろうが、あの子の歌の根本にはいつもブルースがあるんだ。」
こちらは西寺さんの本に書いてあったことですが、Queenのフレディ・マーキュリーや、アダム&ジ・アンツ(Adam and the Ants)のヴォーカルのアダム・アント(Adam Ant) からも影響を受けていました。
フレディとのことは以前少し日記に書きました。
http://ameblo.jp/smallend/entry-10365776965.html
マイケルは彼から、音楽作りはもちろん、衣装やステージ・パフォーマンスなどにいたるまで多大な影響を受けました。
こちらは、海賊ファッションで人気を博したアダム&ジ・アンツの「Kings of the Wild Frontier」です。
マイケルの王族ファッションは、まさにここから影響を受けていますね

もちろん、ポール・マッカートニーからの影響も忘れてはいけません!(←忘れかけてた)
もともとマイケルはビートルズのファンであり(「All I Need Is Love」が好きだったと何処かで聞いた)、「作曲の勉強をしたい」とマイケルがポールに言ったところから親交が始まりました。
ポールがマイケルのために書いた「Girlfriend」をきっかけに、その後の共演作「Girl Is Mine」、「Say Say Say」、「The Man」が生まれたのです。
その中からあまり知られていない(かもしれない)「The Man」をどうぞ

版権の問題で不仲だの色々言われましたが、マイケルが亡くなった後のポールのコメントを読めばそれがメディアお得意のでっち上げだったと分かります。
http://www.barks.jp/news/?id=1000050936
「つい最近メディアは、マイケルが僕にビートルズの版権を譲ると遺言に記したらしいとの考えを思いついたが、それは完全に作り話で、僕は一瞬たりとも信じなかった。そしていま、彼が版権を残さなかったことで僕がショックを受けていると伝えられている。最初の報道が事実だとは少しも考えたことがなかったので、僕がショックを受けているというのはまったくの事実無根だ。だから、言われていることを信じないでくれ! マイケルと僕は実際、何年にも渡って疎遠になってはいたが、仲違いしていたわけではない。こういうとき、メディアはいろんな話をでっちあげようとする。だから時として、僕は記録を正しておくべきだと感じることがある」
「(マイケルの死は)ものすごく悲しく、ショックだ。マイケルと一緒に仕事をし、親しくできたのを名誉だったと思っている。彼は優しい心を持った、才能あふれる青年だった。彼の音楽は永遠に残る。彼との思い出は楽しいものだった」
また、「Wanna Be Startin' Somethin'」はカメルーンのサックス奏者マヌディバンゴ (Manu Dibango)の「Soul Makossa」というアフリカン・ソウルのナンバーからインスパイアされており、自分たちのルーツであると何度も語っていたアフリカの音楽の影響も受けていたと考えられます。
ちなみに、"Ma ma se ma ma sa ma ma coo sa"は"踊っちゃう"という意味を含んだカメルーン語だそうです

さて、ここで後回しにしてきたモータウンの先輩方をご紹介します

まずは、【スティービー・ワンダー】です。
彼も10代の頃からモータウンのスターであり、マイケルと非常に親交がありました。
マイケルは、スティービーが曲作りを行なう過程を見学させてくれたことをとても素晴らしい体験だったと語っており、この経験から音楽作りの楽しさやノウハウを知りました。

まず、マイケルのアルバム「Off The Wall」では「I Can't Help It」を楽曲提供しています。
この曲でのマイケルの息づかいやリズム感、艶のある声は本当に聴いていて心地よいです

スティービーが歌う「I Can't Help It」
Montreal International Jazz Festivalでマイケルへのトリビュートとして歌った時のものです。
しかし実はそれ以前にもJackson5に楽曲提供をしているのですが、1974年にリリースされるはずがお蔵入りになってしまったそうです。。。
スティービー臭がプンプンする名曲やのになんで・・・?(←その言い方やめい)
しかし、昨年の11月に発売されたJackson5未発表曲集に収録されました!
http://www.amazon.co.jp/Want-You-Back-Unreleased-Masters/dp/B002PQ1PDI
「Buttercup」
スティービーのアルバム「Hotter than July」の中の「All I Do」という曲では、マイケルがバック・コーラスを担当しています

もう、めちゃくちゃいい曲です

共演作も2曲あります

「Just Good Friends」
「ぶわっだ!!!」でおなじみのこの曲(爆)大好きです

最初に聴いたときは、あまりのマイケルのはじけっぷりに吹きましたww
「Get It」
こちらは、マイケルが歌う「Heal The World」に合わせてノリノリなスティービーです(笑)
マイケルの歌をとても愛していることが分かります

またスティービーは、エミネムがマイケルを皮肉ったPVを作った時に先頭をきってエミネムを非難した人物でもあります。
彼が普段使わないような"bullshit (でたらめ、ふざけるな)"という言葉を使ったことからも、スティービーの怒りとマイケルへの愛が伝わってきます。
このことに対してマイケルは、次のようにスティービーへの気持ちを述べています。
「エミネム氏にはお会いしたことがありません。それでもいつも彼に敬意を払ってきたつもりだったのですが・・・。アーティストとして他のアーティストにそういう事をするのは本当に傷つく。悲しいことです。スティーヴィー・ワンダーが言った事も事実、的を得ていると思います。僕はこれ以上あまり話したくありませんが・・・。彼(エミネム)は自分がしたことに対して恥じるべきです。スティーヴィーは "bullshit" とまで言いましたから。スティービーにこんな言葉を使わせるなんて。確かに彼はそう言いました。僕は言うつもりはないですが、スティーヴィーはあえて使ってくれました。スティーヴィーは世界で最も素敵な人物の1人です。 」
「スティーヴィー・ワンダーは大好きだ。僕にとって、彼は音楽の預言者だ。僕はいつも彼を慕ってきました。多くの人々がスティーヴィーを尊敬しているし、この業界において彼の存在は偉大だ。彼が話をするとみんな真剣に耳を傾けます。エミネムがしたことは間違いです。僕は人生のほとんどをアーティストとしてやってきましたが、他のアーティストを攻撃した事はありません。偉大なアーティストはそんな事はしないですね。する必要がないのです。 」
昨年の11月29日にロックの殿堂(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)の25周年記念公演でもスティービーはマイケルへのトリビュートを行なっています。
途中で感極まって歌えなくなるスティービーにもらい泣きしてしまいました。。。
「The Way You Make Me Feel」
そして最後は【ジェームズ・ブラウン】です。
「ジェームズ・ブラウンからステップや低いうめき声、スピン、ターンの全てを学んだ。
彼のようにパフォーマンスする人物を見た事が無い。」
とマイケルは自伝で述べています。
おそらくマイケルが今まで数多くインタビューをされてきた中で、「誰に影響を受けたか?」という質問に対して最も多く名前を挙げたのがこの人物でしょう。
「ジェームズ・ブラウンは天才だと思う!特にフェイマス・フレイムズ時代はね。」
とマイケルがおっしゃってるので、まずはフェイマス・フレイムズ時代の曲をお届けします

「Out Of Sight」
マイケルやプリンスがJBのダンスに夢中になるのも分かります!!
どれだけ彼の影響を受けているのかも、このダンスを見ればよく分かります!!
え~、こちらはぶっ飛んでおります(爆)
こりゃあチビマイコーもくぎづけになるっしょ!!
「NIGHT TRAIN」
この曲では、JBが観客を盛り上げるために考案したという"マント・ショウ"がお決まりです

力尽きて倒れこむジェームズにお付きの人がマントをかけ、労をねぎらいながら舞台袖へ連れていこうとしたら・・・ジェームズがマントを払って再び歌い出す!!・・・んでまた倒れてマントかける、を繰り返すパフォーマンスなのです

「PLEASE PLEASE PLEASE」
「Black Or White」の撮影裏でジョン・ランディス監督に「見ろよ、ジェームズ・ブラウンが居るのか?(ジェームズ・ブラウンのつもりかよ!)」ってからかわれて監督をバシバシたたいてるマイコーが可愛すぎて萌えるんですが(←)、ジャケットをマントみたいに羽織ってるマイケルを"マント・ショー"に見立ててからかってたんですね

あ、知らんかったのうちだけ・・・?(汗)
5:44~ の場面です

ちなみに、私はこの曲がJBの曲の中で一番好きです
↓あ、ど~でもいいですね(笑)
でも最近CMで使われててやたらテンション上がっちゃいます

「It's A Man's World」
そしてあまりに有名なマイコーとJBの共演!!
余談ですが、この時ステージへと向かうマイケルの背中をそっと後押ししていたのはマイケルが子供の頃からのマネージャーであるビル・ブレイ(Bill Bray)です。
彼は私生活でも常にマイケルと一緒に行動しており、マイケルが一番心から信頼していたマネージャーであり、父親のような存在でした。


話はそれましたが、JBはやはりマイコーにとって一番の憧れであり、JBにとってもマイコーは最高に可愛い兄弟のような存在だったんでしょうね。
マイコーがあの裁判後にバーレーンで暮らしていたときも、「いつでも帰ってこい」と優しく見守っていてくれていました。
そんな伝説の2人の絆を表した素晴らしい動画があがっていたのでご紹介します(^^)
とまぁ、調べただけでもマイケルのルーツには数えきれない程の偉大なミュージシャン、特にモータウンの先輩方が関わっていたんですね

さて、もうすぐマイコーの一周忌。
時が経つのは本当に早いですね・・・。
でも、今頃マイコーはお空で偉大な先輩型と楽しく過ごしてるかな?
今年の6月25日には、またBEAT ITを踊ってこようと思います。
それでは皆様、長い文章にお付き合い下さってありがとうございましたm(__)m