『高麗史』 ○「ロシアから購入したロケット打ち上げてもらっただけ」
4世紀後半の『高麗史』は、このような記録ばかりだが、
要するに元寇以降対馬や壱岐を中心とする人々と
高麗とが相互に復讐行為を繰り返していただけの
ことではないのか、という印象を持った。
また、これほどまでに倭寇をエスカレートさせた
原因はどちらにあったのかというと、
高麗側の方に多かったようにも思える。
文永の役で対馬や壱岐の多くの人々を虐殺し、
若い男女を拉致して持ち帰り
高麗王に献上したことからすべてが始まり、
当初の倭は偵察行為を行った程度だったが、
最初に多くの人を斬殺したり、リーダーを饗応する
と見せかけて毒殺しようとしたのも高麗側である。
これらはすべて高麗の正史である
『高麗史』に書かれていることなのである。
高麗は倭寇が原因で国力を弱め1392年に李成桂に
滅ぼされることになるのだが、
その後の倭寇のメンバーについては、
朝鮮人の割合が圧倒的となっていた
という記録が残っている。”
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