感銘をうけた本にアイヴァン・モリスの「高貴なる敗北」があります。
海外で広く読まれているこの本には、10人の日本史における悲劇の英雄を紹介しています。
で、その1人が「捕鳥部万(ととりべのよろず)」です。
日本書紀 巻第二十一 時代は6世紀末、宗教対立・天皇の後継者争いで、蘇我馬子と物部守屋の対立がおこっていた時代。
(ちなみに厩戸皇子、後の聖徳太子は蘇我派)
物部守屋に仕えていた兵士の捕鳥部万は、難波で守屋宅を守っていましたが、
物部守屋が討たれたのを聞くと、妻の家がある有真香邑(今の神須屋・八田・真上・土生滝・阿間河滝あたり)に逃れます。
しかし馬子を中心とする朝廷の追討部隊が数百人押し寄せてきて、
万は山中で、縄を竹に繋ぎ相手を欺きながらたった一人で徹底抗戦します。
しかし矢を膝に受け覚悟を決めた万は自分の弓・太刀を始末し、刀で首を刺し自害します。
蘇我馬子は命ずる、「八段に斬りて、八つの国に散らし梟せ!」
河内国司が符の旨に従って万を斬り、串ざしにしようとすると、雷鳴があり、大雨が降った。
このとき、万の飼っていた白犬が、首を振り、悲しそうに吠えながら遺骸の側をまわっていたが、
やがて万の頭をくわえ、近くの古い墓を掘り返し、その墓に埋めた。
そして白犬は、その場に伏せると、そのまま墓を守り続け、遂には飢え死んだ。
河内国司はその犬のふるまいを奇異に思い、朝廷に報告した。朝廷はたいそう哀れみ、符を下してたたえ、
「この犬の行為はまことに奇特で、後の世に示すべきものである。万の同族に墓を作って葬らせるように」と命じた。
崇峻天皇「哀不忍聴り(イトホシガリ)」、「此犬、世にめずらしきところなり、後にしめすべし。万がいち族をして、墓を作りて葬さしめよ」
そこで万の同族は、墓を有真香邑に並べてつくり、万と犬とを葬った。
こうして万は、白犬と共に有真香邑の墓地に葬られたと伝えられる。
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