【追悼】中川昭一黙祷スレ10月3日23時【自民応援】
- 1 :可愛い奥様:2012/10/02(火) 16:57:12.29 ID:AdhXJN5F0
- 2009年に亡くなられた中川昭一さんを偲び、命日に黙祷を捧げるスレです
黙祷開始は10月3日23時です
日本の為に全力で働き、駆け抜けた中川昭一さんの生涯と功績を広く周知するため
お気に入りの動画や画像を貼ってご参加ください - プロフィール
氏名:中川昭一
生年月日:昭和28(1953)年7月19日
没年月日:平成21(2009)年10月3日(56歳)
出生地:東京都渋谷区 死没地:東京都世田谷区
選挙区:北海道 第11区(旧第5区) 当選回数8回
座右の銘:一意専心
家族:妻(郁子)、長女、長男
趣味:読書、テニス、部屋の掃除、庭いじり
好きな食べ物:ソバ、長イモ、サラダ、ヨーグルト
行きつけの場所:本屋1店、紅茶屋1店、そば屋4店、すし屋2店、
中華料理屋3店、園芸店2店、世田谷公園、駒繋神社
出身校:東京大学法学部政治学科
前職:日本興業銀行行員(現・みずほコーポレート銀行)
『中川昭一 ライブラリ ≫ Shoichi NAKAGAWA Library』より一部抜粋
http://nakagawa-shoichi.jp/
※故人を悼むスレです。アンチ自民・他政党や偏向報道への議論や糾弾をしたい方は、別スレに移動してください
※荒らしはスルー推奨。荒らしにレスするのも荒らしです - 3 :可愛い奥様:2012/10/02(火) 16:58:22.68 ID:AdhXJN5F0
- 弔辞
昭ちゃん、
まさか貴方の弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは全く思ってもみませんでした。
自由民主党は真に得難い人材を失ったと悔やまれてなりません。
100年に1度と言われた先の大戦後最大の世界同時不況に
財務大臣と金融担当大臣という要職を兼務して戴いたこと、
また今回の総選挙で自民党が政権与党の座を失ったこと、
それらが今回の悲劇を生んだ一端なのではないかと大変心苦しく誠に申し訳なく思っております。
平成17年でしたか、米国のサブプライムローン問題が出始めた頃、
本会議場で議席が隣だったこともあり、幾度となく意見を交換し対応策を練ってきました。
日本興業銀行出身だけあってマクロ経済、
国際金融の複雑な話に理解力がある数少ない政治家だと思っていました。
昨年(2008年)11月にワシントンで緊急のG20金融サミットが行われました。
世界的に急激な金融の信用収縮発生が予想された状況下です。
そこで日本がIMF・国際通貨基金に10兆円を融資する事によって、
開発途上国の財政破錠を防ぐと提案しました。
財政状況の厳しい日本が10兆円の資金を出すと言ったので、
霞が関では当然反対の声が挙がりました。
しかし、「これは融資であって増資ではない」という私の主旨を一言で理解して、
直ちに財務省に話をつけたのが中川財務大臣でした。 - 5 :可愛い奥様:2012/10/02(火) 17:06:07.54 ID:oC2cwPVaO
- >>1
乙です
タロサの弔辞で涙腺が…
本当に惜しい人を亡くしました
彼の死を無駄にしてはいけない - 7 :弔辞 安倍晋三:2012/10/02(火) 17:10:33.75 ID:X2o35K7q0
- ②「弔辞」 衆議院議員 安倍晋三
当時の政治状況、マスコミの報道ぶりから考えれば、圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
その中で私たちは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。
批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にもつながらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない役職を、昭一さんは「俺がやらねば」という思いで引き受けてくれました。
拉致問題でも全力投球でしたね。
憲法改正問題も同様でした。
今から思えばすべて困難な問題ばかりで、私がまだ当選1、2回の頃、若手の仲間と「昭一さんに、こんなに何でも押し付けていいのかなあ」と話し合ったことがあります。
しかし、責任感の強い昭一さんは自ら困難な問題に立ち向かい、その後、教科書の記述は改善されました。
難局に立ち向かうことで世の中を変えていく。そのためには全力で闘う。私も昭一さんの驥尾(きび)に付し、「闘う政治家」の姿をあなたから学びました。
小泉内閣時代、昭一さんは経済産業大臣、農水大臣を歴任されました。
その間、海外出張はなんと43回にのぼりました。
東シナ海のガス田問題で、あなたの毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性、国益を守るとは何なのか、ということを私たちに身をもって示してくれました。
安倍内閣が誕生した時、私は迷わず、あなたに政調会長就任をお願いしました。
平成19年1月、通常国会で昭一さんは代表質問の壇上に立ちました。奥様のお話では、真面目な昭一さんは深夜まで何回も推敲(すいこう)を重ねたそうです。
その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。
「国の骨格をなすものは、憲法、安全保障、教育であります。」
そして結びで、
「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚、質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない心の部分も、共に真に美しい国、日本が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします。」
と述べられました。
私は代表質問に聞き入り、昭一さんと共に歩んできた道、闘ってきた道に思いを馳せました。
あなたの歩んできた道は国家のため、まさにその一筋で貫かれていました。
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