続・私が凹んだ時や何をやってもうまく行く時にでも共通してする行為 | ちょっち、「代表取締まられ役」が考えたこと。

続・私が凹んだ時や何をやってもうまく行く時にでも共通してする行為


先日、松本清張の或る「小倉日記」伝のことを書いた。しかし、それは短編集「半生の記」の間違いだ。しかも、“読み返す“とも書いたがそれはページを折って印をつけている部分だけを流し読みする程度だ。言い訳、終わり。


さて、私が凹んだ時や何をやってもうまく行く時にでも共通してする行為の続き。


松本清張の暗い青年時代を回想すると次に連想するのはアーウイン・ショー の「ビザンチウムの夜」という小説。こちらは長編なのでなかなか読み返すことはできない。


「ビザンチウムの夜」の内容は青年時代に大成功した主人公が、その後ヒット作のないままうらぶれてカンヌへ行く。うらぶれてとはいえ、大成功のお陰で金はある。主人公にはどこにも発表していない脚本があった。しかし、過去の成功を汚すのが怖いのか、失敗するのが怖いのか自分で書いたにもかかわらず自分で発掘したものとしていろんな人に会う。そうこうしていると、過去の大成功は金と名誉だけの即物的な成功であり、自分自身を豊かにしたものではないと分かる。結末を書くとつまらないのでストーリー紹介はこの辺までにしておく。


松本清張アーウイン・ショー の共通項は若い時代に苦労したという点だ。さまざまな職業を生活のために転々とする。その後、作家としてデビュー。ちなみに松本清張のデビューは42歳。アーウイン・ショーは23歳。


私は若い時代に苦労などしていない。そして、成功もしていない。苦労と成功がパックになっていることが「凹んだ時や何をやってもうまく行く時」に“自分を振り返る”ことや”戒め“としているのだろうと思う。


おわり