お盆休み中に、ふと思い出すことがありました。
今日は1年前の記事に加筆してアップさせていただきます。
今日は、私事ですが、看護師をこころざすようになったきっかけについて書かせていただきますね。
今、私は看護とは別のことに夢中ですが、
若い方が、私も看護に向いてるかも!と思えるきっかけになったり。
どんな職業でも、好きなこと、何時間でも没頭できることが、未来の仕事に繋がるかも知れないと思っていただけると嬉しく思います。
(お時間の許す方はお付き合いくださいませ。)
自分の人生を振り返っても、自分の子供たちを見ていても、「適正の有無」って重要だな~って思います。
私の中で「適正がある」とは、「その事に没頭できてしまう」とか「その事に時間を割いても、全くあるいはほとんど苦にならない」という状態のこと。
これが趣味につながれば、ひたすら楽しいし、もし職業に出来たなら色んな柵があっても、比較的継続しやすく、評価され易いと思うのです。
私は、小さい頃から泣き虫でした。良く言えば感受性が豊かともいえるのかしら、、、。
弱虫だから、戦隊モノに憧れて、いつもいつも「弱い立場の人、困っている人を助けたい!」でも強さが無い、、、。を行ったりきたりしているような子どもでした。
小学生になると、クラスにいじめられている女の子Eちゃんがいました。「臭い!」とか「汚い」とか言われて背負っているランドセルを男子にひっぱられたり、、、。今思っても、残酷な話です。
めちゃくちゃ守りたかった!男子たちに一撃お見舞いし、戦隊ヒーローみたいにその子を助けてあげたかった。それが理想でしたが、弱虫なので理想通りにはいきません。
どうやったらその子を守れるか、そればっかり考えていました。一撃お見舞いできない私がとった行動は、、、、。
その子の前に手を広げて立ち「自分がそんなこと言われたらどう思うのよ!!!なんでそんなこと言うの!!!」と涙いっぱいで立ちふさがるという号泣ボディガードでした、、、。
強さゼロ、、、。笑
Eちゃんはいじめられているとき、うつむいていましたが、あまり泣きませんでした。ひたすらうつむいていました。
本人が泣いていないのに、横から突然号泣している私が入り込んできて、泣きながら訴える姿に、男の子たちも困り顔。(苦笑)
時々、いじめを阻止する行動が原因で、私もランドセルをひっぱられたりすることがありました。
しかし、それ以上、意地悪をされず、且つ、絶対的にその女の子を守ることができるという必勝法があるはず!と毎日毎日考えていましたね。
母にも、よく相談しました。どうすれば、その子を守れるか、どうしたら私もいじめられず、彼らがいじめを辞めるようになるのか。
母はいつも真剣に一緒になって考えてくれました。そして、必死でその子を守ろうとしている弱虫な私を誇りに思うと言ってくれました。
小学三年生くらいになると、必勝法が何となく分かってきました。毎日毎日、考えていましたからね。ただ、それを上手く文字には出来ないのですが、しいて言うなら
「人のことを好きでいること(全部でも一部分でもです。)」
「沢山の人に囲まれていても、常に一対一であり続けること」(群れを単位にすると、判断を誤ることが多いと感じます。人間は良くも悪くも影響され易い生き物だから。)
「誰が言っていたから、、、ではなく、自分はどう考えるのかを大切にすること」
「それらを発信し続けること」かな?と思っていました。
周囲の人を大切に、関わり合いますが、自分は個人だと常に意識しておくこと。大切なのは
「無所属」であることだと思います。笑 (これ、私のポリシー)
小3くらいになると、女子は群れ始めます。私は、この時代に人生で一番モテました。(男子から!!と言いたいのですが)女子からです。
この頃の私は、人をハッピーに出来るお笑い芸人に憧れ始めます。
休み時間になると、両手に女子、前にも後ろにも女子。誰が一番好きかを明日までに答えてと言われたり、廊下を歩く時はドラクエのパーティみたいに女子のお友達が群がりました。
今思えば、男子に恋愛感情を抱くより前って、同性のお友達への執着がスゴイ時代があるのだと分かります。その一種でしょう。
でも、その時に、私は気づいていました。沢山の人が群れて居ても、みんな結局は一人なんですよね。
好きだと言ってくれるお友達が沢山いることは素直に嬉しかったのですが、、、。
時々、群がっているお友達に言われることがありました。
「なんで、メグリちゃんが、Eちゃんと仲良くするの??」「Eちゃん、よくいじめられてるけど やっぱりこういう悪い所があるらしいよ。それでもいいの?」などなど。私がいじめられている女の子と一緒に居るのはおかしいというのです。
私は、そんな時はハッキリ言うようにしていました。「Eちゃんの、こういう所が好きだから一緒に居たい時に 一緒に居るんだよ。」
そして、ハッキリEちゃんの中にある輝くような良さを伝えると、そういう人たちは影響され易いので、Eちゃんへの印象が少し良くなったりするんですよね。そういうことの積み重ねです。
??なんだそれ??って思いましたが、そんな影響され易い人たちもまた、一人一人じっくり話すと素敵な所があるのです。
そういう所は部分的にでも好きになったり、とっても尊敬できたりします。
そんなことを毎日積み重ねて、発信し続けることで、人の見方って変わっていきます。
守りたいなら、たった一人でも、自分が影響力のある人で居ること。そして毎日発信し続けることが大切だと学びました。そして、その人の近くに居ること。
でも残念ながら、完全にいじめが無くなることはありませんでした。いじめ撲滅をうったえましたが、撲滅はできませんでした。私はただ、その子のそばに居ただけでした。
高校生になると、私の周りの女子の群れもコンパクトになってきました。男の子への恋愛がピークの時代ですから。
相変わらず囲まれてはいましたが、、。変わらず人は一人だということ。
高校では、やっぱり人を助けたい、守りたいなら強くならなくちゃ!と思い剣道部に入部しました。(短絡的動機)
これが、驚くほど適正のない分野で、全く上達しないまま引退となりました。(笑)
顔が平安時代風(平安顔)で、背が高めなので剣道着は似合うとよく言われたのですが、それは勝敗には何ら影響しません。(笑)
試合では秒殺されていました。
誰かを守りたいのに、やっぱりここでも挫折です。
そして、高校時代に父の重い心臓病が見つかり、父は入退院を繰り返すようになりました。経営者であった父は、全くと言っていい程働けなくなり、その後も脳梗塞など患い会社は倒産せざるを得なくなってしまいました。
なかなかの暗黒時代です。時を同じくして祖母が亡くなります。大変なことは一度にやってきたりしますからね。
祖母は大変お金持ちの家の生まれらしく、子どもの頃は髪を結う人、ご飯を炊く人、教育係の人、、、と女中さん?が沢山いる環境で育ったようです。
結局、戦争によって、貧しい生活も体験した祖母でしたが、プライドは高い女性でした。
祖母が末期癌で入院した時、私は付き添って、よく看護師さんの真似事をしていました。オムツを換えたり、体を拭いたり、食事の介助をしたり、、、。
大好きな祖母ですから、何とかして苦痛を軽くしてあげたかった。守りたかった。それだけでした。
でも亡くなる前に祖母が言いました。
「自分がメグリちゃんくらいの頃は、こんなお婆さんのシモのお世話なんて気持ち悪くって絶対できなかった。
今、孫のあなたにしてもらって、その有難みがやっとわかったのよ。こんなお婆さんになっても学ぶことってあるんやね。それをメグリちゃんに教えてもらうことになるなんてね。」
と言って、数日後に亡くなりました。
私にとっては、楽になって欲しいばっかりで、汚さなど、気にならなかったのです。なんとか今より良くなってほしい。守りたい。そういう想いが強いんですね。
祖母との関わりが、私の看護師をこころざすきっかけになりました。祖母の入院していた病院のナースさん達が、「メグリちゃんは絶対看護師に向いてる!」と強く勧めてくださったことも、進路に悩んだ時の道しるべになりました。
昔から、人を守りたくってたまらなかった。そのことを考えることには、いつも夢中でした。
弱すぎて、理想通りには守れなかった、、。でも気づいたんです。強くなくたって、誰かを助けたり、守ったりできる仕事があるんだ!ということに。
それが私を看護へと導いてくれました。
数年前のお盆に、実家に帰省したとき、駅のホームで呼びとめられたことを思い出しました。
Eちゃんでした。
「メグリちゃん、久しぶり!メグリちゃん、今、看護師さんしてるって聞いたんだけど、、、。
実は私も会社を辞めて看護師になるため、学校に通うことにしたの!!」
と嬉しそうに話すではないですか!!
時空を超えて、
うつむいていたEちゃんと、
号泣ボディガードの私、
決して強くはない2人が、「そうなんだーー!」と、ホームで笑い合うことになりました。
縁というものは、不思議で温かいものです。Eちゃん、今、どうしてるかな。
私の看護学生時代は、極貧でしたし
おまけに、実際に働き出すと、強い気持ちだけでは上手くいかないこと、、、ゴロゴロ出てきますよぉ~~~!挫折の連続!人生、そんなに甘くないっ!
でも、看護って素敵な仕事なんですよ~♪
そんなお話はまた今度。
最後まで読んでいただき ありがとうございました。
私個人の考え方を羅列しましたので、悪気はないのですが、どなたかを不快な思いにさせてしまうことがあるかもしれません。
考え方を強要するつもりは全くありませんので。
私は私のままがいい、貴方は貴方のままでいい。の精神で、どうかご容赦ください。