第二テモテへの手紙3章15節

 

また、自分が幼い頃から聖書に親しんできたことを知っているからです。

聖書はあなたに知恵を与えて、

キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。

 

 

終わりの日の艱難、

世の中の堕落、

信仰者が必ず遭遇する迫害に言及した後、

パウロはテモテを聖書に委ねた。

 

パウロは聖書に絶大な信頼を置いている。

聖書こそが自分の信仰の子どもである、

テモテに知恵を与え、

信仰による救いを受けさせるのだと。

 

16節、17節によれば、

聖書は神の息吹により、

教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益であり、

聖書こそが、

神の人を、

「すべての良い働きにふさわしく、

十分に整えられた者」とするのだと。

 

聖書は人を備える。

人を育て、

神の人を働きのために備える。

知恵を与え救いを与える。

 

聖書に親しむことこそが、

私たちの人生の秘訣だ。

聖書を暗記し、口ずさみ、

朝ごとに読み、日々反芻する。

それが私を形成していく。

働きに備えてくれる。

大切なことだ。

 

 

第二テモテへの手紙2章21節

 

ですから、だれでもこれらのことから離れて

自分自身をきよめるなら、

その人は尊いことに用いられる器となります。

すなわち、聖なるものとされ、

主人にとって役に立つもの、

あらゆる良い働きに備えられたものとなるのです。

 

 

神に用いられるには、

「何をするか」と同じぐらい、

もしかしたらそれ以上に、

「何をしないか」が大切だ。

 

文脈からすると、

2章に書かれている、

「ことばについての論争」

「間違った教えを信奉すること」

「不義」

「情欲」

「愚かで無知な議論」

こういったことを避けよ、と、

パウロは言う。

 

そうすれば尊いことのための器として、

主は用いて下さるだろう、と。

ではこの空の器に、

何を入れるのか?

 

8節に、

「イエス・キリストのことを心に留めていなさい」

とある。

 

私たちはキリストに夢中になる。

聖霊に満たされるとはつまりそういうことだ。

キリストと恋に落ちる。

キリストの事ばかり考え、

キリストに似ることに一心不乱になる。

そうすれば、「避けるべき事」

が心に入る余地はない。

 

尊いことに用いられる器となりたい。

 

 

 

第二テモテへの手紙1章7節

 

神は私たちに、

臆病の霊ではなく、

力と愛と慎みの霊を与えて下さいました。

 

 

「力と愛と慎みの霊」

というフレーズが心に留まった。

神は私たちに力と愛と慎みの霊を与えて下さった。

 

筋トレをして、

「肉体の会堂建築」をしている。

それは、この身体に聖霊が宿るために、

身体を準備しているのだ。

 

その神の霊は、

力の霊であり、

愛の霊であり、

慎みの霊だ。

 

力があり、愛があり、慎みがある。

そういった人間になることが出来たら、、、。

そう願う。

神はそういった霊を私にくださっている。

感謝します。

 

 

 

第一テモテへの手紙6章17節

 

今の世で富んでいる人たちに命じなさい。

高慢にならず、頼りにならない富にではなく、

むしろ、私たちにすべての物を

豊かに与えて楽しませて下さる神に望みを置き、

 

 

リック・ウォレン牧師は、

先進諸国に住んでいる人は、

例外なく「今の世で富んでいる人たち」だと言っている。

たしかに新興国や開発途上国にいくと、

私が日本で享受している生活の利便性や、

普段手にしている快適さは、

「富んでいる」と言って差し支えない。

 

パウロは富んでいる人に、

「幸せの源泉は金からではなく神から来る」

ことをわきまえるように、

そして続く節において、

惜しみなく施し、喜んで分け与え、

「来たるべき世」のために投資せよ、

と忠告する。

 

1.幸せの源泉は金ではなく神から来る。

2.投資するのは永遠のため。

 

これがパウロが言っていることだ。

そして、富んでいない人々にも、

この章の中で語っている。

 

6節に

「満ち足りる心を伴う経験こそ、

 大きな利益を得る道」だと。

私たちはこの世に何も持って来なかったし、

何かを持って帰ることもできない。

衣食があればそれで満足すべきだ、と。

 

私たちは「富んでいる人」であり、

同時に「富んでいない人」だ。

先進国に住んでいる時点で、

世界の中では富んでいるが、

日本の所得の中央値を考えると、

私は貧困レベルに到達しそうな収入で生活している。

 

だとしたら前半と後半の両方の命令が、

私には大切になってくる。

 

1.富ではなく神が幸福の源泉と知ること

2.惜しみなく分け与えること

3.衣食があれば満足すること

4.裸で生まれ裸で帰ることを忘れないこと

 

お金と上手に付き合っていきたい。

 

 

第一テモテへの手紙4章4節

 

神が造られたものはすべて良いもので、

感謝して受けるとき、

捨てるべきものは何もありません。

 

 

文脈からすると、

「結婚を禁じること」や、

「食物を断つことを命じること」

といった、偽善的な新教義を広める者たちへの反論として、

パウロはこの言葉を書いている。

 

5節には、

「神のことばと祈りによって、

 聖なるものとされるからです」

と続く。

 

つまり偽りの教師たちは、

「禁欲」を説いていたのに対し、

パウロは「この世界を肯定する」、

という包括的な教えを説いた。

 

お金も結婚も食べ物も映画も本もゲームも、

遊びもレジャーも自然も動物もペットも、

あらゆる「被造物」は善である。

善なる神が造り祝福されたこの世界は、

良いものに満ちている。

 

しかし、私たちの罪なる動機が、

それに対する倒錯を生む。

マルクスはそれをフェティシズム(物神化)と呼んだし、

ティモシー・ケラーは「あらゆるものが偶像となる」

と指摘している。

 

私たちが神のことばと祈りというレンズ、

つまり聖書的世界観で生きるとき、

この世は善に満ちている。

何一つ捨てるものはない。

喜んでそれらを受け、楽しみ、感謝しよう。