・・・そしてわたしは発つだろう。鳥は歌って残るだろう。
わたしの庭は 緑の木 井戸といっしょに残るだろう。
 いくつものいくつもの午後 空は青く 穏やかだろう、
そして鐘楼の鐘は鳴るだろう、
今 この午後 鳴っているように。
 わたしを愛してくれた人びとは去るだろう、
そして 町は年ごとに 新しく燃えたつだろう。
しかし わたしの精神は 花に飾られた庭の 秘められたその同じ隅で
なつかしく さまよいつづけるだろう。
強度が足りずに歪んでしまった板の
天地をひっくり返してみたら綺麗なアーチ。



わがままが言い慣れていなくて難しい。
それでも言い続けていればうまくなるだろうか。
誰が何と言おうと、私はこれが欲しい。

へりくつを可愛いままにしておけず
理屈にまで固め上げてしまう。
へ、という自己認識はまんざらでもないな。
コミュニケーションのためには


  ①与えられた以上のものを返す
  ②未知のものを返す


これを分かってなかったので、
大切な彼女たちに
ご迷惑をおかけしたようです。
「愛してる」は僕の中にすでに確実にある、
ある種の感情を形容する言葉ではなく、

その言葉を口にするまでは
そこになかったものを創造する言葉。

「愛してる」という言葉を口にすると、
私の身体はそれに呼応するように熱くなり、
声が優しくなり、気持ちがなごんでくる。
それと同時に、彼女の声も優しくなり、
目がきらきら輝き始め、肌がなめらかになる。

だから僕らが毎日飽かずに
「愛してる」「僕も愛してる」「私も愛してる」
と囁き続けるのは理にかなっているんだ。

さてと、大切な相手に
「愛してる」と言ってあげようよ。

内田樹,2006,『子どもは判ってくれない』,文春文庫
Do you mind smoking?
への返しはこう。


Do you mind other people?

働くとは

傍楽なのだ。

僕が、あなたが働くことで
傍にいる仲間や
大切な人を、ほんの少しでも楽にしているのです。

  腰が重いのはかならずしも悪くない
  といわれたことは自分にてらして同感できます。
  ある程度自分の中にためができるというか、
  力のためがあって、
  相当ふりしぼった上で出てくるもののほうが、
  力としては本物だと思います。(花崎皋平)
今の社会は何かを始める前に、
ダメか、大丈夫かで判断しがちだが、

「物事の多くは、今のままではダメで、
だからこそ一生懸命やることが必要になる」(村上龍 2005)

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2005.12.28 朝日新聞夕刊2版12面

自分が乗る電車を青が追い越していった。
はえーなーって眺めながらも
僕の始まりも目指すトコも各停でしか行けなくて。
そう思った瞬間に快速との間を
反対に進む黄色がさえぎった。
価値判断難しいな。

あおくんときいろちゃんがみどりになる絵本を思い出した。