不登校になって

ヒマ

になり、その時間を有意義に使えなかった事を

今思えばとてももったいなかったなぁと思う

 

凄く端的な話ではあるけれど

学校なんてヒマつぶし

だと今なら言える自分からすると

 

いかに自分で自分を楽しませる事ができるか

 

それさえできれば、不登校とか病気とか家庭環境も年齢も関係なく

幸せに生きていけるのだってつくづく思う

 

せっかくできた暇を、いかに自分の為に使うかを徹底的に考えてやれば良かった

 

もっと、楽しんでいい

楽観的に考えていい

学校で教えてくれる「試験の為の勉強」なんて、後からいくらでも学ぶことはできる

自分の心に向き合って、正直になって

やってみたい事、知りたい事、好奇心のアンテナを最大限にの広げて

そこへ突っ走って行ったらいい

 

今感じてる不安や常識なんて

それこそ大人になってしまえば常識でも何でもない

ただの学校の中だけの常識なのだ

そう言ってくれる大人にあの時、出逢えていたらと思うからこそ

今、不登校でいる子ども達には声を大にしてそれを伝えたい

 

渦中にいると、今置かれた環境や価値観が全てになりがちで

そんな事言われても…

と現状に縋り付きたくなるだろうけれど

そこを突き抜けない限り、世の不登校「問題」は解決されない

 

普通だったら義務教育終了の時期に考えるであろう

自分にとって正解だと思える道

を選択する時がただ早く来たのだけ

 

学校に、教室に戻りたいと感じるなら

それをフォローしてくれる先生やカウンセラーを頼って少しづつ戻ればいい

別室教室で心穏やかに過ごせるのであれば、そこで過ごしたらいい

 

飛び出したかったら、飛び出せばいい

 

だって今、義務教育で通っている学校は自分で「選んで」通っている訳ではない

だから違う学校を、生き方を選び直したっていいに決まってる

 

 

楽しく過ごせる環境に身を置く事って大切

ただそれと同時に、楽しく過ごせる自分でいる事も重要

 

学校の授業は

教え方が上手い下手はもちろんあるけれど、それ以上に

楽しそうに教えてくれる先生、話す先生

の授業は、何となく印象に残るもの

つまらなそうにしている先生の授業なんてホントただの時間のムダ、苦行、寝る大あくび

(今私が関わってる学校の歴史の先生はとにかく楽しそうで「歴史が好きになった」と言う生徒が急上昇中アップあっぱれ音譜)

それでもその授業を受けていられる子は楽しめる子なのだと思う

 

ツマラナイと感じたら

 

見方を変えて

疑問を持って

仮説を立てて

やってみて

 

そうして自ら考えを発展させながら

答えがあったりなかったりする様々なモノゴトに意識を向け、行動できる「力」というものが

どうやって育まれるかなんて分からないけれど…

 

少なくとも自分は

ヒマに押しつぶされないしなやかな心を持って

楽しめる人間でいたいなと思う