今週末は選挙。
最高裁判所裁判官国民審査広報が届いたので目を通した。
候補に載っていた裁判官2名のうち、
1名は女性だった。
最高裁判所の裁判官ゆえ、
その略歴経歴は、華やかなものだった。
「おぉっ!!すごい!」
それが私がその方の略歴などを読んだ感想だった。
そして今朝夫と話してるときに夫が言った。
「東大の法学部長女性なんだよ。女性なのに、すごいよね」
夫は何かの記事でしたらしい。
「あー、その人、今週末の裁判官、
公報を見せた。
その会話は、「すごいねー」で終わった。
しばらくして、私は「おや?」と小さな違和感に気がついた。
夫が言った女性なのにすごいってどういうこと?というやつ。
夫の中にどんな前提があって女性なのにすごいねって言ったのかは私にはわからない。
違和感は『夫』ではない。
私、何がすごいって思ったかな?
東大法学部卒業ってこと?
最高裁判所の裁判官をしてるってこと?
なんで、すごいって思ったのかな?
学力とそこに至る勉強量のこと?
地頭のすごさ?
うん、もちろんそれもすごい。
でも、あれ?と感じた違和感はそれじゃない。
あ・・・
「女性なのに凄い」って思ったんだ。私。
女性なのに、すごい。
女性なのに。
女性なのに。
あぁ。。
女性は社会で活躍するのが難しいって言う思い込み、
それは、能力ではなく、
この社会で女性が担う(担わざるを得ない)役割を持ちながら、
家庭を持っていたら
妻であったら
子がいて、母であったら
むずかしいことや
できないことがある
我慢しなきゃいけないことがある
と私は思ってたんだ!!!
そういう「枠」に自分自身を閉じ込めていたんだよね。
(そもそも、沖野判事の家族構成なんて知らないのに
)
だから、「私」として何かやろう・始めようと思うと
苦しいし、重たいし、罪悪感まであったりしちゃう。
そんな時間あったら家のことやりなよ!
子供のお迎えとかどうするの?
食事作りは?
子供の世話は?
こんな頭の声がしていたわ‥‥![]()
今でこそ、子供が中学生だから動けるけど
幼稚園生だったころとか、小学生だったころは
頭の声がガンガンしていた(と今になって思う…)
こんなくだりで。
今回の女性の最高裁判所判事の件で
私が囚われている枠の蓋の存在に気づくことができた。
要らんね。
こんな思い込み。
こんな疑いもしなかった思い込みは
たーくさん、たくさんあるんだと思う。気がついていないだけで。
自らの経験からではなく、
親の影響大の生育環境とか
学校教育とか
世の中全体に浸透してしまっているような社会的価値観を自動採用
気がついて、手放す。
はるかさんの講座でも教わっていること。
この、気がついた状態で
つまり、思い込みと自分が分離した状態で
日々私は何を感じ
どんな行動をとり
なにを選択していくのかを
観察していこうと思う!
お気に入りの木のスプーン。
ほんのひと匙サイズ![]()
