僕は一人暮らしなので、
もちろん家事の全てを自分で行っています。
掃除、洗濯、料理。
よく驚かれますが、毎日自炊しています。
(男の一人暮らしで毎日自炊することが珍しいようですね 改めて感じます。)
前回(1年半前です・・・)のブログで書きましたが、僕は(ほぼ)ベジタリアンなので、自分で
料理した方が自分が好きなもの(採食オンリー食)を食べられます.。
そのため、自炊した方が良いんです
外食やお弁当では、ベジタリアンメニューは難しいかなと・・・(今の福岡では)
でも、
もし簡単に外食で採食料理が食べられるとしても、僕は自分で料理をするかな
『自分で創る』ということが好きみたいです。
創る・・・・生み出す、変化をもたらす。
外(目に見える形)にも、内(自身の内面)にも
“料理をする”ということだけでは無いですけどね、
食材を仕入れる → 料理する → 食べる → 後片付け でサイクルが出来上がる。
(一番最初に“食材を作る”が入れば完璧なサイクル?)
このサイクルを自分で創ってこそ、得られる(感じる)ものがあるように感じます。
実家暮らしで、用意された料理を食べていただけの時には感じなかったものが確実に
今は有ります。
掃除もね、
生活する → 汚れる(散らかる) → 掃除する(元に戻す)
洗濯も、
服を着る → 汚れる → 洗う → 畳む → しまう
“サイクルを完結させる”・・・・むむむ、ここには、何だか深いテーマがあるような気がします
以前、読んだ本に書いていた・・・
「私はまだ叢林(禅寺)に入ったばかりでございます。どうかご指示ください。」
とひとりの僧が趙州(高尚な禅僧)に尋ねた。
すると趙州は言った。「粥はもう食べたか?」
「はい。食べました。」とその僧が答えると、
「では鉢孟(茶わん)を洗ったらどうだね。」と趙州は言った。
ー 『無門関』―
これは、禅僧は意地悪でそう言ったのではないのです。
日常生活で交わる人や物事こそが、悟りへの道であると同時に悟りそのものだというです。
すごい! 家事がすごく崇高なものに感じてきます。
生きていく、ということは、秩序を乱すことも含まれています。
料理をすれば、調理用具や食器は汚れる。
服を着れば、汚れる。
特に何もしなくても、生活の場は汚れるし、散らかる。
自分で乱した秩序を、自分の手で再び元に戻すということ。
そこには深い精神性が隠されているように感じます。
自分の『生』への責任というか、務めというか・・・
―自分自身で完結させる―
ひとつひとつの家事を完結させた時にいつも感じる『癒し』のような心地よさ・・・
それは、乱れた心が整ったような感触。
“部屋の状態は心の状態”だと言います。
心が整理されているから、部屋が整理されるのか、
部屋を整理することで、心が整理されるのか。
将来結婚してもパートナーに全ての家事はさせません(笑)
僕もします!
家事は生きていく上で必要な、大切な儀式ですから。