こんにちは。 朝子です。
広島・長崎の原爆、終戦記念日。
八月って、戦争について考える機会が多いですよね。平和な世の中を願い、祈る機会が多くなる月。
小さい頃に見た、湾岸戦争の映像や、小学校で見た戦争の映画、夏休みの課題で出された本とか、
未だに焼きついて離れなくて、
小さい頃から戦争には極度の恐怖感を抱いております。
この前ぼんやり思ってたんですが、
私の祖父と祖母は、一人ずつ健在ですが、もう90歳前後だし、お世辞にも元気とは言えません。
だから、私の下の世代の子達は、おじいちゃんやおばあちゃんも戦争を経験したことがない子達が多いんだろうなぁ。
そう考えると、本当に実体験として語れる人って、本当にもうわずかなんだろうな・・・。
私の祖父は、15歳で希望して海軍に入隊し、通信兵としてグアム・サイパンに渡り、その地で戦ったので、
それはもう、本当に考えられないくらい壮絶な体験をしています。
よく、サイパン島玉砕、とかって教科書に載ってたけど、まさにそこにいたんです。
戦争が始まるまでは現地で結構楽しい暮らしをしてたそうですが、
戦争が始まって激化してからは、
もう食べ物がなくて、ジャングルのカエルやナメクジを食べた、とか、
サイパンの海が地で真っ赤に染まってた、とか、
銃撃で撃たれたり、
最終的に敗戦の色が濃くなって、生き残った兵隊で輪になって、
真ん中に手榴弾を投げてみなで自決をしたんだけど、
私の祖父は運良く死を免れ、瀕死の状態のところをアメリカ兵に捕まり、
手当てを受けて、捕虜として収容されたらしいのです。
当時は「捕虜の辱しめをうけず…」
て言われてたけど、
(自らじゃないけど)捕虜になったお陰で生き延びられて、私たちも生まれることができたんです。
捕虜になった後は、ドイツ兵や韓国人兵士(日本軍に強制的に連れてこられたのかな?)と一緒に太平洋を横断して、アメリカ大陸を列車で横断して、
どこかの収容所に入り、
戦争が終わった後に日本におくられたとのこと。
若くてよく働く祖父は、捕虜中もアメリカ兵に可愛がられて(自分で言ってた)、
日本に帰った時はお土産に塩やら何やらを持たせてくれたらしいです。
家族のもとには、既に戦死の連絡が入ってたから、
帰った祖父を見てみんなたまげたらしいです。
小さいときから、ことあるごとに、
孫が野菜食べないと、
「じいちゃんは ジャングルのナメクジやカエルも食ったんだぞ!」
とか、
「じいちゃんは戦争のときに世界中を回ったんだぞ」
とか、
銃痕見せては
「銃に撃たれても死ななかったんだぞ (すごいだろ)」
って感じで言ってくるので、
本人から話を聞いても辛い経験を切々と語るって感じではないんですが、
この人の半生、一冊の本にしたほうがいいんじゃないだろうか。。。
そんな祖父に、私はこんな質問をしたことがあります。
「自分から兵隊に行ったんでしょう? 戦争、イヤじゃなかったの??」 と。
すると祖父はこんな風に答えました。
「そりゃあお前、イヤでもイヤなんて言える世の中じゃなかったんだ。
それに、自分は勉強もできないし、次男坊だから、家のために立派な兵隊になって戦争で戦おうと思ったんだ。それが当たり前の世の中だったんだよ。
零戦(当時、屈指の日本の戦闘機)は操縦してみたかったけどな。」
っと。
その状況下で生きていくしかなかったんだもんね…
祖母からも、少し戦争体験を聞いたことあるけど、
北九州の工業地帯だから、空襲をうけたらしく、
まだ小さい叔母ちゃんの手を引いて空襲を受けてるなかを逃げたとか…、、、
戦争に関しての本をみたり話を聞いたり、テレビを見ると、
戦争という状況の中で、
家族や国のために、命を懸けて闘ってくれた人たちに対する感謝と、
失わずにすんだたくさんの命に、
もう戦争は二度と繰り返さない、という誓いのような強い思いが同時にこみ上げてきます。
沖縄戦、広島や長崎の原爆、、
ほんとに怖くて身がすくみます。。
学生時代中国に短期留学したときに見た、
日本軍の行いもひどかった。。
まだまだまだまだ私が知らない悲劇がいっぱいあるんだろう。。
戦争はいやだ!!!
そう声を大にして言える世の中でありましょうよ。
この前たまたまニュースみてたら、
シリアで民間の家が爆撃にあって子供を含む30人近くの民間人が犠牲になった、って言ってたけど、、
こんな心痛む事がまだあちこちであるなんて。
民間人は、誰も望んで戦争なんてしたいわけがないのに・・・。
朝子。