所詮は他人
どうして期待なんてしてしまったのか

私が子ども達のことを考えている。誰よりも考えている。
誰かに一緒に考えてもらいたい。多分、そこが間違っていた。

熱量が違う
想いが違う
重さが違う
責任感が違う

一緒になんて考えてもらえるはずがなかったのを、わかっていなかった

話を聞いてもらえればいい
背中を押してもらえればいい

同じ視線で悩んで考えてもらいたいなんて、そもそも無理なことを相手に期待してしまった

誰よりも一緒にいて見て感じて考えている
だから、他の人とこの気持ちを共有なんてできるはずもない

私の肩に乗っている大きな大きな不安、3人の子ども達のこれからのこと
誰かが一緒に持ってくれるわけはないし、それがわかっていて離婚した

みんな、それぞれに生活がある
守るものが違う

あの子達を守れるのは私だけ
他人には頼らない
そっと決めたことを誰かに話して確認してもらえばそれでいいだけ
誰かを頼ることも、それがなくなった時の辛さも悲しさも
今はもう何も味わいたくない

1人で育てる
1人で育てられる

だから私は離婚した
他人になんて頼らない




優しさの方向の話を急に、思い出した
私は昔、人は皆同じ量の優しさを持っていると仮定した。優しくない人なんて存在しなくて、向いている方向が違うだけだと。ただ、こちらに向いていないだけで、その人なりのどこか違う方向を向いているだけだと、思うことにした。
そんなことを急に思い出した。
私以外の人は、私ではないのだから。優しさが同じ方向を向いているはずなんてあるわけないのに。

もう少し、周りの人にも優しい人になりたい

自分をわかってくれない人を遠ざけるのではなくて
かわいそうな自分のことばかりじゃなくて
他の人が大切にしていることを一緒に見られる、せめて見たいと思える、そんな目が今の私には足りていない