私は毒親育ちでまともな感覚が育たなかった。
この感覚をまともの戻す方法は存在するらしいけど
歯医者に行けば虫歯は処置できる。でも
歯医者に行けない病気を患ってる。
だとしたら
方法が存在すると言われたって
そんな方法ないのと一緒だよね。
アフリカの植えた子供に『日本はご飯たくさんあるよ』
とか言われたって困るだけだ。
私には健康に戻る方法がなかった。
この自分を受け入れて生きるにはどうしたらいいか
なんてことさえわからないんだけど
ある程度今の自分を諦め認めながら生きないと
ただの時間の無駄だって気がする。
『何かを良くする改善する』って生き方って
実は虚無的だよね。
アフリカの子供が『日本にはご飯あるのに』とか考えながら生きたって
無意味でしょ。
そんなこともがいているうちに日が暮れる。
人生が終わる。
だから虚無。
私はもしかしたら『手に入らないご飯』を考えて生きてきたのかな。
まさにないものねだりだね。
「普通の幸せを求める」って、飢えた心はやりがちだけど
『無駄な努力で人生終わる』っていう感覚を
得るような気がする。
だから、今の自分ができることの方に目を向けていると
充足した気持ちになるのかもな。
その充足さえ不安感の保全でしかなくて
結局は無意味なのかもしれないけど。