復讐者の”批判記事”について思う事。 | ぐちゃぐちゃブログボード。

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自分が思った事や考えた事を淡々とコルクボードに張り付けるかの如く書いていくブログ。特別な意味はありませんが、何かしらの発見があったら幸いです。(旧:はっちゃけ!ゲーム日和)

社会人になってから。ブログの更新回数も大分減ってきてしまったけど。これからも細々と続けていく予定なので、付き合って頂けると幸いです。



※このノリは変わりません


今まで本当に色んな記事を書いてきたなと思う。ゲームレビューから意見、日常の事やら。任天堂やゲームに関しては批判的な意見も書いてきた。最近は日常の事を書いていく事が増えてきた。


一つ。ブログ記事を書く上で特に避けようと思ったのが”批判記事”。自分で書いてて薄々感じていたけど、「書いていてあんまり面白くないな」と思ったんだよな。”時間のムダ”だとも書きながら思った。


何か企業がアクションを起こす度に批判するのも、最近はどうかって思うようになってきた。ソーシャルゲーム、課金要素、完全版、DLC、iphone移植、一番大きかったのが2DSかなあ。これらに関しては批判記事を書いている記憶しかない。


でも、批判して何になるかなと。読者に意味を感じて貰えるのか。俺が書いて意味があるのか。自分なりのこだわりを書くなら、別の方法で書いた方が良いんじゃないか。批判記事を読者として色々読んだけど、納得はするものの特別面白いとも思わなかった。書いてもその場の憂さ晴らしくらいにしかならない。


ゲームでいうと「WiiU」がいい例かな。本当に大失敗ってレベルを超えてる気がするけどさ。「WiiUは何故失敗したのか~」「WiiUはもうやめたほうがいい~」とか色々見たけど。それで?それ言ってWiiUの未来変わるの?って思っちゃって。俺もマリオのマンネリを指摘するけれど、結局何をやろうと遊ぶしね。成功したらコロッと意見変わる事も普通にあるし。


WiiUに限らず、その物の魅力を書いた方が読者としては楽しいと思うし、有意義だと思うんだよ。あ、感想として楽しい、楽しくないってのは書いた方が良いと思うけどw


もう馬鹿みたいに批判を書くくらいなら、その会社に「俺が変えてやるぜ!」ぐらいの意気込みで転職して働いて貢献した方が、よっぽど有意義なんじゃないかなとも思うんだよね。だって遠い所でいっくら吠えてもよ、変える事って出来ないんだよ。なら直接言いに言った方が早くないか、と。


良い例で日本を駄目にしたのは政治家だ!!!って意見を見る事はあるけど、そこまで言うのならまず選挙には行ってるかな?政治をキチンと見ようともせず、国民が政治家を選ぶ権利もあるにも関わらず、行きもしないで言っているのであれば、それはアカンと思う。


僕もメンドクセーって感じで最初は行ってなかったから、行ってない人はそれなりにいると思うんだよな。不満があるのなら、騒ぐ前に選挙は行った方がいいと思う。僕も社会人として意識が足りなかったし、政治もロクに知らないからあんま強気な事言えないんだけどw もっと知るようにしないとね。


話がそれたけど、課金ヤメロ!と言えるのは”遊ぶ側”だから言える事だと思うし。ゲーム開発者も批判出るのは絶対分かっているはずだし、それをあえてやってしまうのは本当に苦しいからだと思う。けど、ゲーム本来の楽しみを潰しながらの商売は長く続かないと思うから、俺は駄目なやり方だと思うけどね。

批判記事を書くのは人の自由だとは思う。けど、俺はもう書く事にも読む事にも意味を感じない記事に感じるようになった。アクセスを稼ぐ為にやっているブログじゃないしなあ。


批判記事はアクセスが稼ぎやすいのか、マスコミや普通のブログでも大袈裟に書いてある事が多いね。俺のブログもそうかも知れないけど。大手ブログに取り上げて貰った記事も、批判記事だった。


でもね。中身のない批判や煽り文を書いても、一過性の物に過ぎず、子供が「タバコ吸ってる俺sugeeeeeeeeee」ってくらい意味のない物だと思うのよ。俺はあからさまな批判は書かないようにしてたけど、意味のあるものか?と聞かれたら無意味な物だったと思う。


信者だから中身のない意見書いてる!って思われたくないのもあって、厳しめに書いてた部分あったけど。ちゃんと中身のあるレビューや意見を書いてれば、自然とそう思われないはずだよな。俺も批判文を書く事で、文章力のない自分を誤魔化していたんじゃないかなーって今はそう思う。


普通の紹介記事で取り上げて貰えるような書き方を身につけたいね。