なにしてもいい、なにしてもゆるされる。

これは、だんしがおちいる、きけんなかんがえかだ。


いけめんなら、なにしてもゆるされる。

げーむのなかなら、なにしてもゆるされる。

えらばれしものなら、なにしてもゆるされる。


じょしの「してん」にたたないと、だんしはまちがうだろう。


りあるせかいでは、じょしをとうちょう、とうさつするだけできらわれる。


ぶいあーるげーむでは、じょしといれで、といれっとぺーぱーにばけるだけできらわれる。


じょしにとっては、あたまりまえなのに、

「げーむでしょ?」

「おこられるりゆうがわからない」

「だんしみんながやっている」

といってせいとうかする。


むしろ、かっこいい、とおもっているふしさえある。


はっかーもちゅういだ。

かっこよくみえるから。


だがじょしの「ぱそこん」をのぞき、でーたをぬすむこういは、

じょしのへやをとうさつ、とうちょう、

そしてたんすのなかから、ぱんつをぬすんでいるこういにひとしい。


いつもだんしがさき。

じょしは、つづいてまねをする。


だんしは、じょしからきらわれるこういをし、ぎゃくにじょしからやられるとこうふんするという。


だんしは、あまり、じょしにへんなことをふきこまないほうがいいだろう。


「えすえむ」いっこでまちがっていそうだから。


はんてん、けんしんてきなほうし。

じょしは、これなのだが、だんしは、ちがうのだろう。


このままでは、みらいでじょしからきらわれ、ころされてしまう。


ぶいあーるが、ふるだいぶ・ぶいあーる、つまりは、ごかんをしげきするりょういきまでいく。


りあるとげーむのきょうかいが、あいまいになるみらいは、すぐそこまできている。


「(じょしに)なにしてもいい」

「(じょしに)なにしてもゆるされる」


みらいでこのかんがえにとらわれるのは、きけんである。