まつもとんの二重切開とフリーなブログ

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二重切開に関する写真や助言、遊び行ったときのことも書きます。

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今年特に印象に残ったのは1つ。
 

大好きなおばあちゃんが亡くなったこと。
 


私にとっておばあちゃんっていったら1人しかいなくて、母親の方は生まれる前に亡くなったから会ったこともなければ話したこともないんだよね。
おじいちゃんもそう。おじいちゃんなんて親が結婚するかなり前に亡くなったから、父親も知らない。
 


群馬の嬬恋村に住んでたから、長野にいたころはよく遊びに行ってたなー。酒屋さんだったから、小さい頃レジで遊んだしアイス食べたしジュース飲んだし笑
 


あと、冬以外のときは畑仕事手伝ったなー。
 
じゃがいも掘ったり、トマトそのままかじった気がする。おばあちゃんが時々宅急便で嬬恋のキャベツや当時お店に置いていたバタートップのパン🍞野菜来るたびに電話で話して。
 


あと小学校のときには運動会にも来てくれた。
 
かけっこ短距離走大嫌いな自分なのに本番はいい成績残せた。普段ポンコツでクソみたいなのにね
 



中学行ってから嫌なこと沢山あって、色んな人に生意気な態度したり反発してたけどおばあちゃんと話すとなんでか知らないけど普通に話せた。不思議な力だね、
 


基本的に自分は褒められた記憶がなくて(まあ褒められるようなことしなかったけど)、おばあちゃんやおじいちゃんだけはそうかそうか偉いね、すごいなーて言ってくれた。
 


最後に会ったのは、19歳のときかな。それから会えなくて電話ぐらいしかできなくて、今度1人で電車と車使って会いに行こうと計画してた矢先に今年の2月23日に亡くなったよと電話で知らされた。
 



急いで嬬恋村に行って、着いたらもうおばあちゃんが穏やかな顔して眠っていた。
 

ごめんね、ごめんね。もっと早く計画して会いに行けばよかった。ダメなバカ孫でごめんなさい。
 

告別式に使われた写真の中に、小さい頃にいとこ達全員揃った写真があったのね。
 


私は昔から知っていたんだけど、もうひと組のいとこ達は知らなかったんだって。
 

聞けば、父の下の兄さん家族はこの日で東京を離れておばさんの生まれた沖縄県に移住する日だったんだって。
 おばさんは、東京でいじめられていたのかわからないけれど、なんか色々馬鹿にされたりしたみたいで。東京や大都市で4人子どもを産んで育てるのがありえないみたいに言われたそうで。今で言えばめんどくさいママ友付き合い?、
 

私この話聞いてその馬鹿にした人にふざけんなよって気持ちになった。子どもは1人や2人が普通なの?方言じゃなくて標準語しか話しちゃいけないの?
 
私ひとりっこだから、兄弟いる人が羨ましかったよ。長い休みだと働きに出てるからずっと1人で、今だから言えるけど寂しかった。誰とも話さないでお弁当食べて、宿題して。遊んだ記憶なかった。
 

結婚して子ども出来るなら絶対ひとりっこにはしたくない。仲良しな兄弟いるの最高だと思う。
 
話かなり脱線したけど、言いたいことは、
 


おばあちゃんはどんな地域の人でも受け入れて沢山の人を想って行動してた。だからみんな村の人もおばあちゃんのこと大好きだったんだなーて告別式のときの弔電やそのあとの食事会で私におばあちゃんの話してくれた人がたくさんいた。
 



おばあちゃんは、私が孫の1人でよかったのかな?
 

カレーライス大好きだったよ、おばあちゃんの味再現できるように作るね。
 

おいもの天ぷらも好き。天ぷらも上手に作れるようになるね。
 


どんな女性になりたいですか?て聞かれたら今ならこう答える。
 

“おばあちゃんのように、優しくてでも強い心を持った人、弱い人にいじめる人には絶対にならない人”
 

最後に
 





大好きだよ、84年間生きてくれてありがとう😊
 

おじいちゃんと結婚してくれてありがとう。
 


ゆっくり休んでね。