その3
浄土宗や浄土真宗では浄土三部経と言われる「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」を主にあげられる。「その2」で述べた日本仏教の実情である「墓地の管理と葬式」中心の活動をする僧侶が多くみられるのは「阿弥陀経」の記載にその原因があるのでは無いかと私は思っています。特に10段目の「舎利弗、若有善男子善女人、聞説阿弥陀仏、執持名号、若一日、若二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不乱、其人臨命終時、阿弥陀仏、与諸聖衆、現在其前。是人終時、心不顛倒。即得往生、阿弥陀仏、極楽国土。」等は死んで阿弥陀如来に極楽浄土に往生させてもらい、成仏もできるとの思いにさせられる部分である。今日、日本の仏教は葬式とお墓中心の活動から脱却すべく努力されているが私どもの教泉寺が属する真宗大谷派でも、本多弘之さんが「現代と親鸞」の中で日常生活の中にこそ阿弥陀如来への信心を持つことが大切であるとの親鸞への思いを現代用語を用いて普及に勉められていることは注目されてよい思われる。
さて、浄土真宗が巨大教団を組織するに至った最大の貢献者は蓮如と言われています。
蓮如は1415年に生まれ1499年に85歳で亡くなったと言われています。存如を父に使用人である女性との間にできた子供として生まれた。蓮如が6歳の時、父である存如が正妻を迎えることになり、蓮如の実母は身を引いて姿を消していった。その後正妻に男の子が生まれ、蓮如は部屋住みの身となっていく。蓮如の幼名は「布袋丸」と呼ばれていたらしい。そして、40歳過ぎまで親鸞の教えを中心に真宗以外の書物にも広く勉強を続けていました。1457年、本来嫡子である正妻の子「応玄」に変わり蓮如が本願寺を継承することになった。最初の妻との間に7人の子供が生まれていた。真宗の本願寺は大谷に寺院を構えていたが、貧しい貧乏寺であった。その頃でも同じ真宗の中で、仏光寺派や高田派などの人気を博している寺院も存在していた。真宗に対する比叡山の圧力が激しくなり、最も弱そうな本願寺が標的となり僧兵に破却され、命からがら近江に落ちのびていった。そこで、布教活動に専念し多くの門徒を獲得していった。その後、北陸の吉崎に拠点を構え、数十万人の門徒を獲得し一大寺院を作り出していった。その勢力は戦国大名を凌駕するほどになり、門徒による自治政治が行われるほどになった。蓮如はその前に吉崎を脱出し京の山科に本願寺を建設し繁栄している。今日の真宗の発展は蓮如の布教によるところが大きい。又、蓮如は5回の結婚をしており、全て正妻との死別によるものである。5人の妻との間に27人の子供がおり、80歳代で子供をなしている。85歳で亡くなるまで、本願寺の経営の努力し、主要な寺院には息子を配して真宗本願寺を巨大教団に発展させた。
その4
大谷派の今日の問題点は末寺の経営が苦しいことである。それはどの宗派の末寺にも言えることで真宗大谷派だけの問題では無い。日本の人口減少の問題、若年層の宗教離れ、その一方で工業社会の人間疎外観からの逃避がもたらす新興宗教の台頭などは既存宗教の衰退の外部要因と言えます。また、内部的にも現代人の精神的な苦悩を的確に捉え、その解決につなげる「教え」を提示し得ていない点も不振の要因と思われる。日常生活の中での有用な「教え」を示せるかどうかに各宗派の盛衰がかかっています。
ここで、「その1」で示した 「栴陀羅」(チャンダーラ)問題について触れてみたい。
「観無量寿経」の序説「韋提希夫人と王舎城の悲劇」の中で、「王今為此殺逆之事、汚
刹利種。臣不忍聞。是栴陀羅。不宜住此。」の一説である。この話はアジャータシャトル
と言う太子が父なる王ビンビサーラをとらえ、幽閉して王位を奪い誰一人面会させないようにしていた。国王の大夫人であるバイデーヒー(韋提希)は身を清め精製したバターに乾飯の粉末を合わせたものを身にぬり胸飾りの中に葡萄酒をいれ、ひそかに王に与えていた。アジャータシャトルは守衛に聞いた。「父王は生きているのか」守衛は夫人が食物を与えていることを伝えた。此を聞いてアジャータシャトルは剣を取って母を殺そうとした。
そのとき聡明な大臣であるチャンドラブラディーバ(月光)はもう一人の大臣ジーバカ(耆婆)とともに王にむかって諫めていった。「劫初よりこのかた、もろもろの悪王あり。国位を貪るがゆえに、その父を殺害するもの、一万八千人なり」と。しかるにいまだかって、無道に母を害するものあるを聞かず。[王いま、この刹逆のことをなさば、クシャトリヤ(武士階級)の名を汚さん。臣、聞くに忍びず。これ[「栴陀羅」](チャンダーラ)のなすところなり。ここに住すべからず。この[ ]の中の栴陀羅がアウトカーストの一階級であり差別的な表現になっているのではないかと指摘されている問題である。この世は差別のある人間に苦悩をもたらす社会で有り、その社会の一つの事例を表現していると思われる。「栴陀羅」(チャンダーラ)を含む過酷な差別社会の現実を示し、物語を展開している。そして、そのような人間に苦悩を与える不当なカースト制社会からの救済をする教えを無量寿経の中の四十八願中の第三願と第四願で説いているとも思われる。「阿弥陀経」では極楽浄土は差別の無い平等な世界で有り、そこに成仏することで全ての人間は救われると教えています。ここで言えることは、釈迦の生きた時代の階級社会の現実的な一側面を表す物語で有り、又「観無量寿経」が宋の文帝の時代に漢文に訳されたものであり、当時の階級的な考え方に影響されていることは避け得ない事とも思われます。
浄土三部経と言われる「お経」はトータルで差別を許さず、平等を大切にする教えが中心となっており、言葉狩りによる「栴陀羅」(チャンダーラ)部分の削除などに進まないように私としては願っています。