今いろいろな症状が出ているということを書いた。
これは持病の聴神経腫瘍と言う病気が原因とされている。
まあ、原因はどうでも良い。
いろいろな症状のせいで、今まで普通に出来たことが出来なくなったり感覚が分からなくなって感じたことを書きたいと思う。
ぼくがここで書きたいのは欲求が湧くことは素晴らしいということ。
湧いて来た欲求を満たすと幸福感が湧くということだ。
空腹を感じる、食欲が出るという神秘。
そして食べて美味しいと感じる幸せ。
これが食べるという経験の醍醐味だと強く思った。
食べ物に対して、全く食欲が湧かない、興味が出ないということがどれだけ辛いか。味気ないか。
食べても美味しく感じない、それどころか味を感じなかったらつまらないだろう。
食欲や空腹感が無かったら食べないだろう。どんどん痩せて行く。これは怖ろしいと思う。
痩せたくなければ、思考で食事を管理しなければいけない。この難しさ。
満腹なのに食べたら気持ち悪くなる。だから食べるタイミングを考えないといけない。
今自分がどの食べ物を必要としているかも感覚的に分からないから考えないといけない。
食べることが楽しみと言うより雑用や仕事のようになるだろう。
これは他のことにも言えるだろう。
日常生活全般に言えるはずだ。
目が見える。
耳が聞える。
臭いを嗅げる。
物の感触が感じられる。
考えられる。
手や足が思った通りに動く。
真っ直ぐ歩ける、走れる。
車が運転出来る。
不安を感じないで移動出来る。
トイレで排泄出来る。しかも気持ち良い。
「雨風がしのげる家があるだけ幸せ」みたいな表現があるけど、
それ以前に欲求が湧くことで幸福感を感じる条件が揃い、
それを叶えることが出来るだけで幸福感を得られるんだと思う。
そこに個人差はなく、全ての人が幸福感が得られる可能性が有ると思うのだ。
幼児が階段をただ登ったり降りたりするのは、この幸せを味わうためじゃないか?と思う。
たぶんほとんどの「遊び」の本質は同じで、目的はそこに在る気がする。
それがいつしか、そういう幸せを感じられなくなってしまう。これは不幸かも知れない。
刺激に慣れてしまう、飽きてしまうからだと思うけど。そうやって学んだり成長して行くのだろう。
病気にはいろいろな効果が有ると思うけど、
この誰でも感じられる幸福感に気付かせてくれるのもその一つだと、今強く感じている。