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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

全く気にしていなかったけど、自分が生きたいんだと気付いたということを書いた。

適応障害という診断を受けた頃は全く前向きには考えられなくて、

何をやってもつまらなくて趣味もどんどん減っていった。

その中の1つで、小説も読めなくなった。

 

それは最近まで続いていてた。
試してみたこともあったけど、最後まで読めない。好奇心が続かないのだ。数ページ、読めても数十パージで飽きてしまう。
どうせ架空の話だし、ぼくの境遇とは全く違う他人の身に起きた出来事の顛末を知ってもしょうがない、

何にもならないという考えが強くて読み切れないのだった。

ノウハウ本や自己啓発の本は読めるのに、小説の類は一切受け付けなかった。
何より作り話というところが引っかかる。
他人の作り話を知ったところでそれが何になる?と思うと、興味が一切失せてしまうのだった。
同じことは映画にも言えた。
一時期は映画も観られなかった。
途中で飽きちゃうのだ。
何か事件が起こって、それが落着するまでの一連の状況の変化みたいなものを観せるのが映画という感じで観ていた。
つまり、最初から感情移入をしないスタンスで構えている感じだ。

今考えるとよく分かるのだが、当時は何で楽しめないのか?が全く分からなかった。

以前は楽しめただけに、自分の中の何処かが壊れたように感じた。


そして、自分は死にたいと思っていると信じていた。それくらい精神的に辛かった。人生が面白くないと感じていた。


しかし、聴神経腫瘍が大きくなって、いろいろな症状が発現し、それが日に日に悪化していくように感じていたある日、

ぼくは生きたいのだ!と当たり前のことに気付いた。


小説が読みたいと思ったのは、それからしばらくしてからだった。
以前の好みで数冊選んで読んでみた。

大枠面白いと感じたけどやっぱり読めないモノもあった。

小説の好み、自分がどんな小節を読みたいのか?が分からなくなっていた。

顕著な変化は、それまで好き立った推理小説はあまり興味が持てないことだった。
何が起きたとか、それはどうしてそうなったのか?とか、事件の因果関係などには興味が無いようなのだ。
それよりも、人物が描けている方が興味が湧くようだった。
描かれている人物像が好きな場合、ぼくは感情移入が出来て、それが小説を読む楽しみ方のようなのだ。
そんなこと考えたこともなかった。

変わった事件が起こるよりも、大したことは起こらなくても人物像がしっかり描けている方が読めるようだ。


そういう観点で小説を読んていると、どんなジャンルの小説も、SFとして読んでいるようだと気付いた。
とくに、時代小説は、日本の歴史という共通のバックボーンが決まっていて、その枠内で話が展開するので、

日本人のぼくとしては感情移入し易いようだった。
それなら、現代が舞台のいわゆる文学作品も楽しめるかも知れない。

しかし、そのジャンルの作品は今はまだ読んでいない。
それは適応障害以前は好きではなかったからだ。
現代小説だと、登場人物の心理描写が細かい気がする。

そういう小説を読むことがぼくにどのように作用するかちょっと不安なのか知れない。