病状が悪化して辛いを思いをしながら、身体の驚異に思い至った。
その流れでいろいろ考えた。
そして、病気自体も身体の驚異の1つではないかと思った。
全ての人に当てはまるかどうかは分からない。
でも、ぼくに関しては、病気とは自分の今までの生き方の結果だと思う。
身体に対して強いていた無理や悪癖の影響は蓄積する。
そしてそれが一定以上溜まると、これ以降も生きて行こうとしてそれを排出したり、浄化するように働くのだ。
それが病気なんだと思う。
この時に辛い病状を伴うのは、
「生き方が間違っている(自分に合っていない)ことに気付きなさい」
というメッセージで、間違い方は人それぞれだから、間違い方によって病気の種類や症状が違うのだと思う。
自分の間違いに気付いてそれを正さないと、治している端から身体を痛めつけ続けているのだから、
病気は完治しないだろう。何度も再発することになるかも知れない。
病気は身体の異常ではなくて、
それまで自分に合わない生き方をして来たことでおかしくなった身体を正常な状態に戻そうとする、
身体の正常な働き何だと思う、ということ。
この考え方に至ったのは、自分や世界に対する見方が大きく変わったことが関係している、と思う。
以前は、世界や自分には正常と異常とが起こり得るという考え方をしていた。
何か異常が起こってそれが病気の発端になったという考え方だ。
つまり病気は異常な状態という解釈。
今は異常なことは起こらないんじゃないか?t漠然と思っている。
起こることは全て正常という解釈。
だから、その過程で現れる症状は辛いかも知れないけど、放って置けば治るんじゃないか?と思っている。
すべきことは病状を抑えたり、病巣を除去することではなく、間違った生き方を正すこと。
つまり自分本来の自然な在り方に戻ることだと思うのだ。
これは毒などの中毒、怪我、アレルギー反応などには当てはまらないかも知れないけど、
自然発生した病気はまずこのパターンだと思う。
しかし、そこまで身体や自分を信じられないから、辛い病状をどうにかしたいと考えるのもしょうがない。
医者もそのように指導するし。
病状によって、どのように考え方や生き方を修正すべきかに気付いていけば良いか?
を指導してくれる存在が居ると良いなと思う。
たぶんどう生きるのが自分にとって自然なのかは他人に教えてもらうことではないだろう。
自分の中にその答えは在るはずだと感じる。
でも、それをどうやって知れば良いのか?が分からないから、それを指導して欲しいと思っていた。
思っていたけど、それまで自由に生きて来て分からなかったものを、分かるように指導してあげる、
と言われても受け入れられないようだ。
自分の自然な状態を知る必要を感じるためにもあ病気の辛さは有効なのかも知れない。
認めたくないけど、病気よりも小さな、気付きの機会は与えられて来ているのだと思う。気付いてないけど。
そういうので変わらないから、ぼくは病気になったんじゃないか?と思う。
病気は、自我への固執を諦めるチャンス。
病気は素直になるチャンス。
そうとも言えると感じる。