これは全くぼくの個人的な考えで、科学的にも宗教的にもいかなる証拠も無い。
ただぼくの個人的な経験と感覚だけ
祈りとは、自分の本当の思いを伝えるための手段だと思う。
伝える相手は誰か?
ぼくは誰にでも伝えられると思っている。
実在の人物。
もう会えない故人。
神様。
先祖。
守護霊や龍や妖精や架空の存在。
どんな存在でも思いを伝えられる、そんな万能な手段が「祈り」。
ぼくはそう考えている。
祈りで伝える内容は、願いだけじゃないと思う。
自分の決意。
自分の本当の思い。
謝意。
何でも行けると思うけど、自分の本心から出ているものでなければ意味がないだろう。
だって「祈り」だから。
愚痴や文句を祈るというのはちょっと想像出来ない。
でも、別に世界平和を祈らなければならないというものでもないと思う。
ぼくは、自分が生きて行けてるのは見えない存在がサポートしてくれているからだと思う。
そういう存在は、全部自分のことを分かってくれていると勝手に思い込んでいたことに今日初めて思い至った。
本当に分かっているかどうか?は分からない。
分かっていたとしても、本人(=ぼく)の口からちゃんと言葉にして話して欲しいかも知れない。
もし自分が誰かを応援しているとしたら、やっぱりその人の本心や感謝の言葉を聞きたいと思うから。
だから、祈るのだと言いたい。
それが「祈る」理由に成り得ないだろうか?
そして同じ理由で「祈り」が大事だと思えないだろうか?
ぼくとしては非常に分かり易い話だと思うのだけど、
人によってはこのブログが何を言っているのか全く分からないのかも知れない。
それはどうでも良い。
とにかく祈ってみて欲しい。
ちょっとだけ気分が良くなるから。