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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

なんとなくみんなが優しくなったように感じるということを書いた。

そう感じる前は、人は監視しないと何をやらかすか分からないという考えを信じていたとも書いた。

 

そう考えるのは、やっぱりいくつかの考えを信じているからだと思う。

 

自分よりも劣った人を見下している。しかし、同時に競争相手(脅威)ではないので安心してもいる。

だから優しく出来る。

 

頑張れば出来るはずという考えを信じ込んでいる。言ったら信仰しているレベル。

だから出来ない奴は努力が足らないとか怠けているとか考えが甘いとか判断してしまう。

 

しかし、実際は努力をするには才能のようなものが必要なようだ。

勉強の成績が悪いのは、イコール頭が悪いとは言い切れない。

勉強しようにもその方法が分からない。

何をどうしたらいいのか分からない。

 

それと同じようなことが努力するということについても言えるのだと思う。

 

また、自分が頑張ってやっていることを他人が出来ないのを見ると怠けていると考えてしまいがちだからだ。

自分だってできるのだから誰にだって出来るという考え。

 

人はみんな同じくらいの能力を持っている。

自分はそんなに優秀ではない。

自分も楽したい。自分だけ頑張っているのは割に合わない。損だ。

 

 

こんな推測はいくらでも書けそうだ。

つまり、根本的な理由ではないからだろう。

 

では、根本的な理由って何だろう?

 

それは分離感ではないか?と思った。

 

自分と他人は別れている別々の存在という感覚。

自分とそれ以外。自分と世界は別れている。

世界は人や動物や植物、鉱物、空気など、それぞれ別々の存在の集合体だという考え。

自分はその部品の一つに過ぎない。

 

自分は世界に属して居ながら、一体ではないという感覚、分離感があるからじゃないかと思う。

 

 

この分離感が強い時は、自分の身は自分で守らなければいけないという感覚が強くなるのではないだろうか。

そうなったら他人に優しくなんて出来ないだろう。

 

これは根源的な恐怖のような気がする。

 

そして、この感覚が無い場合は他人に優しく出来るんじゃないだろうか?

「優しく出来る」と書いたけどそれは言葉の綾で、実際は優しくしているという意識は無い。自然にそうしているだけ。

 

 

ぼくが思うのは、恐怖感が有る場合は他人を敵対視し、恐怖感が無い場合は敵対視しない。

恐怖感が有る時が特別で、無い場合が普通なんだと。

つまり人って、他人に優しくなれない状態が異常で、優しくなれる状態が普通なんだと思うのだ。

 

これだけのことじゃないかと思う。

 

 

何故他人に優しく出来ないのか?なら、いろいろと理由を数え上げることが出来る。

でも、何故優しく出来るのか?に関しては、あまり考え付かない。

 

それは恐怖感が有る場合、その元は思考だからじゃないかと思う。

今のぼくの状態で、身の安全を脅かされることはあまり遭遇しない。

つまり本来恐怖を感じる状況になることはほとんど無い。

でも、不安になったり心配するといった、軽度の恐怖感を抱くことは多い気がする。

 

もしも○○だったら困るとか、××になっちゃったらどうしようみたいに考えて勝手に不安になったり心配しているのだ。

だから、ほとんどの恐怖感は思考が原因だと思う。

 

だから、恐怖感が有る状態の説明はし易いのだろう。

 

これに対して恐怖感が無い状態は思考していない状態だから、これを思考で説明することが困難なのだろう。

 

 

赤ちゃんや動物を可愛がる時に赤ちゃん言葉になる人が居る。

自覚な無いけどぼくもそうかも知れない。

あれがどうしてなのかが分からなかった。

 

たぶん、分離感が無いからだろう。

 

つまり、赤ちゃんや動物と一体化している。というかそういうイメージの中に入っている。

自分のイメージの中では赤ちゃんや動物は会話していて、使っている言葉が赤ちゃん言葉なのだろう。

それと一体化してるから、自分もその話し方になっちゃってる。

 

そう考えると面白い。