優しく出来るか出来ないかは分離感が無いか有るかの違いだと書いた。
自分は孤立しているという感覚が分離感だ。
分離感が有るとは、他人と自分は別々の存在で、世界の内に居ても自分と世界との間には分け隔てが有ると思っていること。
基本的に、世界が自分の味方ではないと感じている。敵ではないにしてもいつ危害を加えて来るか分からないと。だから、自分の身は自分で守らないといけないと考えている。
心の奥底に不安を抱えていて、いつも自分が安全か?安全が脅かされる兆しは無いか?と警戒している。不安材料を探しながら生きているとも言え、いつもアンテナを張って外の様子を見張っている。
基本的に神経質で自分のルールが多く、人の好き嫌いも多いだろう。
だから、他人との交流を苦手として、孤独を好むことが多いんじゃないだろうか。
しかし、敵を作って不安材料を増やしたくないので、そういう自分を隠して社交的な姿を装っていたりする。
生きて行く上で戦略を練って、人生と言うサバイバルを生き抜いて行くことで必死だ。
戦略を練ったり、警戒したりで常に考えているので、自分を思考と混同する傾向が有るだろう。
自分の本音に従っていないことは薄々分かっていて、違和感として感じている。
何かやりたいことが出来ても、損得や正誤や外聞などを考えて自分で否定しちゃっているのだ。
無意識で自分のやりたいことを否定しているので、自分の気持ちが分からなくなっていたり、やりたいことが無いと思っていたりする。
だから自分の行動規範は品行方正や、公序良俗といった外から提示されて「いいこと」とされたものを指針にすれば良いと、
そう言った概念に自分を合わせようとすることもある。
やりたいことが分からないので、まずは義務や責任とされることを全うしようとするという感じ。
自分のやりたいこと、やりたくないことを否定してやるべきことを優先してやる生き方になってしまう。
だから楽になりたいと感じている。でも、どうしたら楽になれるのかがよく分からなかったりする。
とにかく休めば良いはずと自堕落になったり、何かに依存したりし易いだろう。
辛い在り方だと思う。
全般的に難しく難しく考えようとする傾向が有る気がする。
分からないこと、コントロール出来ないことが怖い。
だから何でもコントロール下に置きたがる。
ぼくはこちらの側だと思う。
これに対して分離感が無い人は、有る人の逆ではない。
余計な物が無いので、余計な事をしなくても気にならないという感じだろう。
つまり、自分が孤立しているかどうかなんて気にならない。考えない。
別に自分が世界の一部だとか、世界は自分の味方だとか考えない。
困ったり挫折したりしても、何とかなって来たしこれからも何とかなると感じている。
むしろどう挽回しようかワクワクしたりするのかも知れない。
思考と自分の気持ちや欲求の違いが明確に分かっていて、本当の自分なんて考えない。
コントロールしたいとか考えないのだろう。
全てはそのままで上手く行くという感じだろうか。
分離感が有る人から見ると、分離感が無い人の振る舞いは信じられない。
何を考えてあんなに警戒せずに楽しそうに振る舞っているのか?と疑問に思うけど、そもそも考えていないという風には思わない。
考えないで生きられるってどういうこと??となる。
じゃあ、人はみんな常に何か考えながら生きているのだろうか?
赤ちゃんや幼児を思い返してみると、そんなことないんじゃないだろうか?
赤ちゃんや幼児は一般的に警戒心が薄く、誰にでも同じように接するように感じる。
だから、そういう状態が人の生来の在り方だと思うのだ。普通の状態だということ。
だから、分離感が無い方が自然な在り方で、分離感は生後に自分の中に育むのだろう。
たぶん、周囲の大人の振る舞いから学び取って行くのではないだろうか?
分離感が有る大人の側で育った子どもは分離感を持ち易いのではないだろうか。
逆に分離感が無い大人の側だったら分離感を持ちようが無いだろう。
ここまで話をシンプルにするために、分離感を有る無しで書いて来たけど、
そんな白黒はっきり分けられるものではなくて、グレーなものなのかも知れない。
そして一度分離感を持ってしまったら一生持ちっ放しなのかも分からない。
分離感80%の人がその後の経験で60%に減らすとか出来るのかも知れない。
分からないけど、そう出来たら良いなと思う。