最近またスニーカーのかかとがすり減って穴が空いてしまった。
また買い替えないといけない。
そう考えたけど、果たしてそうだろうか?
そうだ!修理して使えないか?と考えた。
そう思い付くと、今まで靴を修理して使うという発想は無かったのが不思議だと思った。
早速調べて、これ↓を買い求めた。
昨日1足直して、今2足目に着手している。
修理するのも楽しい。
考えてみると、今までも家電などは出来る範囲で修理して使っていた。
コーヒーメーカーや掃除機が接触不良を起こしたので、コンセントのプラグを交換する程度だけど。
そう言えばかなり前の話になるけど、こんなことがあった。
掃除機の電源が入らないので買い替えたいけど、どれを買おうか迷っていると言う人が居た。
ダメ元でコンセントのプラグを交換してみたら?と提案したら、きっぱりと言われた。
「そんなの絶対に嫌だ。」
コンセントのプラグをちょん切って、コードの被膜を剥いて、買って来たプラグの中の端子にねじ止めするだけなので簡単な作業だから、誰でもそうするものだと思っていた。
それが意外にも拒絶されてちょっと驚いた。
そういう人も居るということを初めて知って、世界は広いなと思った。
他人がどう考えているのかは分からない。
でも、ぼくの中身は分かるだろう。
物が壊れた時に修理しようと思うのは何故か?
使っていて慣れている、安心して使えるということが大きいかな。
あと、新しい物を買ってから使い始めるまでの作業が面倒だというのもある。
たぶん通販で買うので梱包して送られて来る。
この梱包を解いて、箱なんかを捨てて、壊れた物を捨てるというのがおっくうだと感じる。
書き出してみて、一番嫌なのは何か?と考えると、物を捨てることだと感じる。
一度使った物は何か縁のようなものが有るように思えて、それを捨てるのがもったいないと言うか可哀そうと言うかそんな感覚だ。
ぼくはこの感覚を愛着だと思っている。
世の中には、壊れたらすぐ買い替えるという人も居ると知った。
こういう人は、愛着が無いのだろう。
では物全般に愛着が湧かないのだろうか?
そんなこと無いような気がする。ぼくだって、ティッシュペーパーには愛着は湧かない。
たぶん物によって愛着が湧いたり湧かなかったりの判断基準には個人差があるのだろう。
何でも捨てないでは居られないミニマリストから、何も捨てられなくてゴミ屋敷に住んでいる人まで。
いろいろな人が居るのは愛着の問題なのかも知れないと思った。