youtubeで、岡田斗司夫という人の動画をよく観る。
アニメや本、映画の評論が面白く、そういう見方もあるのかと感心するよりも、これが正しい解釈なんだと思わせられることも多い。
この間この動画↓を観て、ちょっと気になった部分があった。
宮崎駿監督作の超有名アニメ映画『魔女の宅急便』の完全解説の初級編。
一部抜粋する。
* * *
15:17辺り。
観客が気付くセリフでは占いが出来るとか最近は恋占いもやってるけども、子どもたちが気付き難い映像ではこの先輩のちょっと綺麗な魔女が、この風俗街に降下して行くところを描く。
つまり堕ちて行く先輩の魔女っていうのをものすごくゆっくりと見せている。
それに対して、キキ(主人公の魔女)が全く気付かずに憧れて見ている、そういう視点で見せている。
そんな先輩はキキに対して「あなたも頑張って」と声をかけるけど、キキはその先輩のやせ我慢の声援に気付かない。
「あなたも頑張って」というのはそんな軽い言葉じゃない。
やっと1年が終わってもうすぐ帰れるというウキウキとした口調で言う。
つまりこの町での生活が実はけっこう辛かったこととか女である故のしんどかった経験には気付かせない。
16:47辺り。
宮崎駿の劇場アニメっていうのは、セリフよりもこういう
映像に仕込まれた説明とか伏線がやたら多い。
20:20辺り。
いろいろな魔女の宅急便の評論を見ても、キキの母親のコキリは田舎町で平和に暮らして人間と結婚して子どもまで生まれている魔女の幸せないわゆる成り上がりであるというか、キキも将来このコキリみたいな素敵なお母さんになるんでしょうねみたいに語られてるがそれは一般人の感覚で、宮崎駿的には違う。
宮崎駿もアニメという魔法を使う職人の一族の系譜なんです。
コキリは魔女の一族から受け継いだ魔法の巨釜コルドロンを使いこなせなくてドライフラワーの花瓶にしてしまったような人なんです。受け継いだ数々の魔法も忘れてしまっている。で、「最近は魔女も少なくなってしまって魔法もだんだん途絶えてしまって」って時代のせいみたいに言うけど、違うんです。巨釜で煮なければいけない薬草を化学薬品で適当に作ってるから効くか効かないか分からないリュウマチの薬しかできないんですよ。
(中略)
コキリさんは、実は魔女としてよくよく見てみると割と落ちこぼれでそれを時代のせいにしてて、セリフだけを聞いているぼくら(観客)はそれをまともに受け取っちゃうんですね。
だからコキリはけっこう失敗するんですね。コキリが魔法で失敗するシーンは原作には無くて、宮崎駿が勝手に付け足したシーンなんです。
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思いの外長くなっちゃったけど、言いたかったのは、
『宮崎駿の劇場アニメっていうのは、セリフよりもこういう映像に仕込まれた説明とか伏線がやたら多い。』
目で見えるものと耳で聞こえるものは必ずしも一致しないということで、これを意図的に利用にして鑑賞者によって受け取るメッセージや印象を変えることが出来るのだ、と思った。
宮崎駿の作品は良い人ばっかり出て来る品行方正な内容だと信じていたけど、どうやらそれはぼくの思い込みでおそらくセリフを信用し切ったためだだったようだ。
それと同時に何と言うか一種呆れるというか、そんなに頭を使って映画を観たりしないよ、とも思った。
そういうことを感じて数週間後。
今日は暖かいねと話かけた。
すると相手は「今日は寒い」と主張した。
「だって、暖かかったら半袖を着ているはずだろう。」
とぼくが長袖Tシャツを着ていることを指摘した。
たぶんからかわれただけだろうけど、言い得て妙だな~と思った。
ぼくはどうして長袖Tシャツを選んで着たのだろう?
そして、何で今日は暖かいと言ったのだろう。
我ながら、自分の行動がちぐはぐな気がした。
無意識で何となくそうしただけだし、それが異常だとも思わないけど、
アニメのメッセージにも気付かず、自分の言動は一貫していないという現状に何となく生きているだけという気がした。
みんながみんなそうかと言えばそんなことは無くて、そういうことを鋭く気付く人も居る。
それがちょっと面白いと思った。