スタバのレジで待たされて考えたことを書いた。
これを書いた時は、イライラしたのは待たされたから当然だと思っていた。
しかし書いた後に、何でそう思ったのたのだろう?と違和感を覚えた。
待たされたら必ずイライラするかな?と思ったのだ。
待ち合わせではイライラしないという人も居るかも知れない。
あるいは、相手が遅れた時だけイライラするとか。
だから、ここで書いている内容はあくまでぼく個人の感覚の話だ。
例えば待ち合わせをしたとして、移動している間は別にイライラしないと思う。
当然待ち合わせ時間に丁度間に合って、相手と会えたらイライラはしないだろう。
でも、約束の時間よりも早く集合場所に到着してしまった時はどうだろうか?
ぼくはけっこうイライラすることが多い気がする。待ち合わせ相手に早く来て欲しいからだ。
そういう時でも、持って来た本やブログなどを読んで熱中し出すとイライラは消える。
これは、待ち合わせ相手が遅れて来る時も同じだと思う。
決まった時間に決まった場所で特定の他人と会うということが待ち合わせだとするなら、
会うまでの間どう過ごそうが待っていることには変わりは無いだろう。
そういう意味では移動時間だって待ち時間だと言えそうだ。
移動してるとか読書してるというように何かをしているという感覚が有ればイライラはしないような気がする。
ぼくが待たされてイライラするのは、何もしないで待っていなければいけないとなった場合のようだ。
ここまで書いて、待ち合わせをしてイライラしていない時間は平穏な気持ちで居るのか?と再度疑問に思った。
読書などに熱中している時は楽しんだり考え込んでいたりと平穏な気持ちで居ると言い切れそうだが、それ以外は待ち合わせ時間に間に合うだろうか?とヤキモキした気持ちで過ごしていることが多い気がする。
そう言えばいつからヤキモキしているのだろう?と今まで自分を思い返してみると、どうやらその日起きてから、いや下手すると前の日の寝る時からかも知れないと思い至った。
つまり、前の晩から待ち合わせの時間まで平穏な気持ちで居ることが少ないようなのだ。
そう考えると待ち合わせがかなり嫌だと感じていることに改めて気付いた。
この気付きは意外だった。
待ち合わせなんてこんな気持ちで過ごすのが当たり前だとなっていたので気付かなかったのだ。
何でそんなに嫌なのだろうか?
どうやらぼくの中では待ち合わせ時間に間に合うことが最優先事項になっていて、何かをすれば遅刻の原因になりそうなのでしてはいけないとなっているようだ。
例外が読書など乗車中にのみ出来ることと、飲み物などを買う行為だけだ。
それ以外やっちゃダメ!となっているようだ。
自分の自由を自分で奪っていることがストレスの原因のようだ。
ぼくがそれだけ待ち合わせに間に合うことを重要視しているのだから待ち合わせの相手だってそうすべきだという思いが有って、それが遅刻して来るなんて努力が足りないからだと考え怒りが湧くようだ。
どうやら待たされてイライラするのはこのためだろう。
何という厳しい世界なのだろう?
じゃあ何でそんな風に自分を縛っるのか?と考えると、これは単なる癖のような気がする。
たぶん子供の頃に待ち合わせをした時にこのやり方で成功したので、それ以降それを踏襲しているんじゃないかなと。
こんなやり方は自分では思いつかない気がする。
おそらく親の言動に強い影響を受けてこうなっちゃったのではないかと思う。
遅れたら大変なことになる、みたいなことを言われたとかね。
だから、他の人はこんなことはやっていないんだろうな~
「○○したら大変なことになる」という考えはぼくの恐怖の源泉となっているな~と思う。
自分がしっかりしないと生きて行けなくなる、みたいな色合いの概念で、義務や責任を果たすためのエネルギーを捻り出すための道具のような機能を担っている。
そう考えても、待ち合わせをして遅刻しないということはぼくの中では責任とか義務の範疇なのだと分かる。
改めて自分の中で起こっていることに気付いて、こんなことはもうやりたくないと思った。
多少待ち合わせに自分が遅れたり相手が遅れたりしても、平穏な心持ちで過ごせるようになりたい。
そういう気持ちが確認出来ただけでも大きな進歩のように感じる。
遅刻したっていいじゃないか?と思えるようになりたいな~