人は、TPOに合わせて、自分のキャラクターを使い分け周囲との軋轢を避けて適応しようとするのだと、
という思い込みがある。
ぼくはそう思っているという話。
個人的な考えだけど、誰でもそういうものだと思っていた。
心理学用語で、こういうキャラクターのことをペルソナ(仮面)というらしい。
自分の気持ちは置いておいて、その時にやるべきことを淡々とこなすみたいな。
でも、、人は生まれながらにしてこのペルソナを使っている訳じゃないと思う。
TPOを気にする赤ちゃんはいない、と言うと分かり易いだろう。
そうだとすると、人は成長するどこかの時点で、ペルソナを使うことを学習しているということになるだろう。
それっていつなのか?どうやって学ぶのか?
そんなこと考えたことも無かった。
最近はあまり見ないけど、
10年くらい前まで、子どもに怒鳴り散らしている母親らしき人、というセットをよく見かけた。
凄く嫌な気持ちになったものだ。
あんなに怒る必要があるのだろうか?といつも不思議だった。
ぼくは子育てをしたことがないので、全く他人事だからそう思えたのかも知れないけど、
それにしても壮絶な怒り方だと感じることが多かった。
たぶん、あれでペルソナの使い方の訓練が行われていたのではないか?と今は思う。
子育てとは、役割りをちゃんと果たす、つまり、ペルソナを使う訓練なんだろう。
だから、母親が母親役をやると、子どもに子ども役を押し付けることになる。
特に、良い母親を頑張ってやる母親は、子どもにも良い子を強制することになっているのだろう。
そうすることで、子どもは社会とは役割りをやる場だと思い込んで行くのだろう。
たぶん、ほとんど全ての母親にはそんな意図は無いと思う。
子どもが社会でちゃんと生きて行けるようにするためとか、
世間から自分が悪い母親と見られないためとか、
そういった強迫観念に駆られてやってるだけで、深い考えは無いのだろう。
つまり、条件反射的にやっているだけで、それも実はペルソナを使っているのだと思う。
ペルソナだから、子どもが可愛いという自分の気持ちを置いておいて、
子どもをコントロール下に置くために厳しくするということが出来るのだ。
この時に、もし母親が母親役をしなかったらどうなるのだろうか?
きっと子どもも、子ども役をすることは覚えないだろうから、
幼稚園や保育園や学校などで役割りをちゃんとするように教育されるし、
母親にもちゃんと家で役割りをすることを教えるように通達が行くのだろう。
念が入ったことだと思う。
行政もペルソナの育成に余念が無いという訳だ。
ペルソナとはエゴの働きによって可能となる現象だと思うから、
親の中のエゴ(思考や記憶の塊)を子どもに伝授しているとも言える気がする。
厳しくしたり、優しくしたりと、自分がペルソナを使い分けて見せて、
子どもに刺激を与えることで子どもが自分でペルソナを作り出すよう促していると思う。
そう考えると、子どもに合ったペルソナを親が拵えてあげることは出来ないだろう。
だって、親自身も自分がペルソナを作り出す環境を作っている自覚すらないし、
ペルソナを作り出しているおは実は子ども本人なのだから。
あくまで親は、そのための環境を整えてあげるしか出来ない。
エゴは、生きて行く上で必要なツールだし、
その使い方の一つとしてペルソナが有るとしたら、
それを子どもに用意させるというのは親の愛情と言えるのかも知れない。
しかし、おそらく子どもが作ったペルソナは、そのまま一生使える訳ではないだろう。
だから、こども本人がこのペルソナの仕組みに気付いて、
ペルソナを使うか?使わないか?
使うとしたらどんなペルソナにするか?
など自分で取捨選択し、必要に応じて改変できるようになる必要が有ると思う。
そうして初めて、自分の思うように生きることが可能になるんじゃないだろうか?