拗ねるのは何故かと考えた。
何で拗ねることが気になるのか?と考えると、
ぼく自身が拗ねている、あるいは拗ねていたと思うからだ。
ぼくが思う拗ねるとは、不貞腐れるとか、文句ばかり言っているような分かり易い姿勢を取るとは限らない。
前向きとか、素直といわれる状態ではない人は、拗ねていると思っている。
人は、前向きだとか素直というのが元々の状態で、
そうじゃない状態、姿勢は拗ねていると捉えているのだ。
だから、ぼくのように自覚はないけど、その実拗ねているという人は多いと思う。
何で拗ねているのか?というのはリブログした『拗ねるメリット』に書いた通り。
理由はどうあれ、拗ねるという選択をしているのは自分だから、他の誰の責任でもないだろう。
だから、自覚的に拗ねているのではない限り、自分が拗ねているということに気付いて、
今後も拗ねたままで行くのか、拗ねるのを止めるのかを選んだ方が良いと思う。
今まで拗ねていた身として感じるのは、どうやら拗ねていても特に良いことは無いようだということ。
むしろ、拗ねることで良くないことを引き寄せるんじゃないか?という気がしている。
そういう意味でも、つまり良くないことを引き寄せないためにも、
拗ねるのを止めるのは意味が有るんじゃないかと思っている。
要は、ぼく自身が拗ねるのを止めたいのだ。
止めたつもりだけど、実感が無いから自信が持てない。