ブログや動画やテレビなどを観ていて、
こうすれば幸せに成れるなどと説明している人を目にしたり、そういう話を聞いたりするとイラッとすることがある。
必ずではないけど、そう感じることがあって、何でそう感じるのだろう?と不思議だった。
けっこう長い間謎だったが、このほどその理由が分かった気がする。
ぼくはそういう人たちに助けて欲しかったのだ。
別にそういう人たちでなくても良いけど、誰かに助けて欲しかったのだ。
でも、そういう人たちはだいたいぼくの参考にならないことしか発信しない。
だから毎回そうじゃないだろ!と思っていた。
それはそのまま自分に対する苛立ちだったのだろう。
そして、他人にはぼくを助けるような力は無い。
そんな影響力は無いのだ。
ぼくがそう思っている対象になるのがそういう人たちの役割で、それ以外の何者でもない。
今まで通りぼくにとっては見当外れの発信をし続けるんじゃないかと思う。
この推測が正しければ、そういう人たちはぼくの前からだんだん姿を消すはずだ。
例えば「人は沈み切ったら浮上する」というのは表現として正確では無いと思う。
人は、自分は沈み切ったと思ったら浮上したくなる、が正しいと思う。
浮上するかどうかの決定権は自分にあるから、いつ浮上するか?は自分で決められるのだ。
と言うか、自分しか決められない。そのきっかけは他人からも得られるだろうけど、決めるのは絶対に本人だ。
そうであるなら、沈んでいるのも自分で選んでいるということでもある。
だから、沈むのに飽きたら浮上するというのが正しい気がする。
その前に自分が幾つにも分裂していて、その中には潜在意識といわれる、つまりは意識出来ない自分も居て、自分をどうするか?と決定権はむしろ意識出来ない自分が握っていることが多いような気がする。
だから、顕在意識でいくら沈んでいるのに飽きたと考えていても、潜在意識でもっと沈んでいたいと思っていたら浮上はしないだろう。
そして、沈んでいたいと思うのにも理由が有るはずだ。
その理由として潜在意識で信じていることを顕在意識で理解出来れば、それを手放すことも選択出来るようになる。
手放したら、沈んでいたいと思う理由が無くなる訳だから、たぶん浮上するだろう。
そういう、自分の仕組みや自分の潜在意識で信じていることを理解する方法や、潜在意識で信じていること自体を知って行くことが自分を知ることにつながると思う。
そして、自分を知ることは、自分の人生を豊かにするためには必須だと思うのだ。
今回のこうすれば幸せに成れるなどと説明している人、
と言うか、ぼくがイラッと感じるような人たちは、ぼくが自分を知るためのサポートをしてくれていると感じる。