自分の仕事に、こだわりを持たなかったり喜びを求めないのは奴隷の働き方だと思う。
用を足せれば良い。少しでも長く働けば良い。少しでも長く働く必要が有る。休むのは悪だ。
そういう在り方。
こういう在り方の人は、仕事に対してクオリティーという考え方が無い。
働いてさえいればクオリティーはいつも同じだと思っているのだ。
また、働くことに喜びも求めていない。そんなものは感じられなくて当たり前。基本、嫌な思いをするものだと諦めている。
だから、自分も他人に対して気持ち良く接しようという発想もない。
世界は敵か交渉相手くらいにしか思っていない。
自分は独りで世界と戦いながら、あるいは取引きしながら生きていると思っている。
以前のぼくがそうだったから言えるのだ。
だから、自分を労うなんて発想が無い。
自分が疲れるとか考えない。だから、疲れていても分からない。気持ちが弛んでいるくらいにしか思わない。
自分をそんな風に扱っているから、他人に対しても同じように考える。
休んたり、余暇を楽しむというような話を聞くと、嫌な気持ちになる。怠けていると思うからだ。
そういう人は、人生を楽しむなんて思っていない。基本的に働くために生きている。
奴隷のマインドだと思う。
そして、それは人の本来の在り方から外れた間違った生き方になるので、遅かれ早かれいつか生活が破綻するだろう。
具体的には、何らかの問題が勃発するはずだ。
健康状態の悪化かも知れないし、人間関係が上手く行かなくなるのかも知れないし、
金銭問題かも知れないし、仕事が上手く行かなくなるのかも。
とにかく、生活パターンを変えないといけない状態になるはずだ。
それは、一見不幸に見えるけど、たぶんそのままの状態を持続させた方が大変だと思う。
そして、実はそうなる兆し、サインはそれ以前に来ていたはずだ。
風邪を引き易くなったとか、喧嘩が増えたとか、支払いの時に財布を忘れるとか。
何かは分からないが、そういうサインは来ているはずで、その段階で気付ければ、
大きな問題には発展しないで済むだろうけど、まあ、普通は気付かない。
だから、問題が勃発すると本人は青天の霹靂という感じだが、周囲の人たちは「やっぱりな」である。
知らぬは本人ばかりなりとはこのこと。
しかし、周囲の人たちは意地悪で言わなかった訳では無いだろう。
言っても聞かなそうだったし、もしかしたら意見してくれていたのかも知れない。
誰も悪くはないのだ。
本人が自分で自分の生き方を選んでいる。
それは誰にも止められない。
だから自分の生き方の方向転換、在り方を変えるのは本人の判断で、それはいつでも出来るのだ。
そういう意味において、人生は平等なんだと思う。