人生は楽しまなきゃ、とか、
ぐずぐず悩んでいたら、楽しむ時間がなくなっちゃう、などと言った文章を目にすると、
何か凄く違和感を感じる。
どういう人たちが、どういう意図でそういうことを発信するのかは分からない。
でも、楽しむって言うのが曲者だと思う。
以前うつ状態になった時期があった。
その時は、人生全て雑用のように感じたのだった。
人生ですることなんて全て徒労で面倒なだけ、と感じてしまい、楽しいことなんて何も無いとしか思えなかった。
ぼくの中で、「楽しむってなんだ?」という問いが生まれたのはそんな時期だった。
楽しいってとどういう感じだったか?
どういう仕組みでそう感じるのか?
が全く分からなくなってしまったのだ。
そうなる前のぼくが思っていた「楽しむ」は、欲求を満たすということだったように思う。
空腹を感じたら食べる、喉の乾きを覚えたら飲む、眠くなったら眠る、みたいな。
うつ状態になっても、空腹や喉の乾きや眠さは感じるけど、それを満たしても楽しいとは感じなくなっていた気がする。
友人や知り合いと飲み食いする、いわゆる飲み会が好きだったけど、
今となると何がそんなに面白かったのだろう?と疑問に思う。
酔っぱらってはしゃいでいるだけで、全く何の実りも意味も無い時間だったように感じる。
当時はその「意味が無いこと」が良かったように思う。
単なる憂さ晴らしだったのだろう。
欲求といって、最初に思い浮かぶのは、3大欲求というヤツではないだろうか?
食欲、睡眠欲、性欲らしい。
これって、たぶん強烈に感じる、つまり強い欲求じゃないかと思う。
ぼくは、強い欲求こそが満たすべき大事な欲求だと思い込んでいた。
だから、これらの欲求を満たすことが人生で最も大事だと思い込んでいたのだ。
しかし、どうやらこれらの欲求は頭で、つまり思考で考え出していることが多いようだと感じるようになった。
つまり、梅干しを見ると唾が出るとか、夜中にビールのCMを見るとビールが飲みたくなる、みたいなこと。
考えてみれば、「ビールが飲みたい」というのは欲求としておかしい気がする。
喉が乾いたとか、何かが飲みたいなら分かるけど、何でビール指定なのか?
あれは、ビールを飲むことで得られる感覚をイメージしているからだろう。
しかもビールが飲みたいと思っても、別に喉が乾いた訳でもないことが多いと思う。
それはそうだ。喉が乾いたのではなくて、ビールを飲んだ感覚を味わいたいのだから。
その感覚は、記憶から引っ張り出して来て再現しているものだろう。想像上の、いわば幻だ。
そして、おそらく、その感覚を味わっている時に、快楽を感じるホルモンか何かの物質が分泌されていて、
脳は快感を覚えるのだろう。
だから、本当の目的はその快楽物質で快感を感じることなのだ。
脳で感じる快感が目的だから、身体がどう成ろうと知ったこっちゃない。ましてや人生なんて考えてもいないだろう。
そういう、幻の欲求、実際は脳で快感を感じることを追い求めているのが人生の目的なのだろうか?
何か違う気がする。
どうやら、強い欲求は、そのような幻の欲求であることが多い、と言うか、現代社会ではほとんどそうだと感じる。
そして、それらは本来は生存や種の保存に直結していたのだろうけど、現状はそのような状況にはまず直面しないと感じる。
むしろ、自分の人生にとって大事な欲求は、もっと仄かに感じるように思う。
そして、その要求や望みを汲み取る力が無いと、いたずらに幻の欲求に振り回されるばかりの人生になるような気がする。
今のところ、生きていることに何か意味が有るのかどうかは分からないから、
まあ、別にそれでも良いとは思うけど。
ただ、今このことに気付き始めたので、ぼくにとっては何か生き方を変えるタイミングに来ていると感じるのだ。