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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

ぼくは掃除が嫌いだ。いや、嫌いだった。


どうせまた汚くなるのに、何で毎回掃除しなきゃいけないのか?無駄じゃないか?とずっと疑問に思っていた。


ある時、自称掃除好きと言う人と出会った。

その人に「何で掃除が好きか?」と訊いたら、
「ゴミや汚れを落とす作業とは思ってなくて、神様のためにその場を清める儀式だと思ったら好きになった。

 掃除すること自体が重要で、多少やり残しがあっても良いと思ってる。」
みたいなことを言われて、何か感心すると言うか、掃除の意義が腑に落ちたように感じた。

掃除の結果にばかり意味を見出そうとしてたけど、掃除の作業そのものに意味を感じるということが新鮮だった。

それからぼくも掃除が嫌いではなくなった。

それまでは、「やるならきれいにしなきゃいけない」と信じていた。

どうやら、一回掃除したらしばらくやらないから、出来る限り綺麗にしなくちゃいけない、みたいな考えがあったようだ。
「ああ、謎の完璧主義が掃除することを邪魔していたのか」と思ったものだった。

それでも、基本的には面倒な作業とは思っていた。
特に風呂掃除は嫌な作業だった。

しかし、ある日、その認識が変わった。

その日の午後に汗まみれになって風呂と、洗い場の掃除をしたのだが、それが嫌じゃなかった。
と言うか、途中では、幸せを感じていた。

何故か?

ぼくは聴神経腫瘍を患っていて、その症状の中にめまいやふらつきがあるのだが、そのせいで足元がおぼつかない。
しかし、風呂の掃除は出来た。健康な頃よりは苦労するけど。
文句を言いながらも、致命的な不都合も無く、風呂の掃除が出来るということは恵まれているのだと初めて知った。

知識ではもちろん知っている。知識ではなくて体感で初めて分かったという感じだった。

 

それから、完璧に綺麗にならなくても良いや、と思えたことも大きい気がする。

身体を動かす、ということ自体が快感なのだなとも思う。



その後に、車で出かけて渋滞にはまったときに、建売り住宅と思われる、似た形の家が固まって建っている景色が目に入った。
その時に、同じ形が連なって在るのが幾何学的な模様のように見えた。

そこに「美」が在ると感じた。

そして、こんな感情を感じられて幸せだなと思ったら、フワッと幸福感が湧いて来た。
何気ない日常の景色なのに。

この2つの体験から思った。

事柄だけを重要視していると、つまりいつも考えている状態だと、

効果とか、意味とか効率という結果ばかりに意識が行ってしまう。

事柄が終わった未来の時点に意識が飛んでいる感じがする。


しかし、感じること、自分の感覚に意識が行っている、つまり何も考えていない状態だと、

自分が五感で捉えたものがそのまま認識され、自分本来の反応が出て来るのかも知れない。

作業が現在進行中のまさに今ここに意識がある感じがする。