何もかもランキングて考える癖かまあるな、と急に気付いた。
例えば、最近のマイブームで言えば、トースト。
パンとバターもしくはマーガリンとジャムされるが必要だ。
パンにしてもバターにしてもマーガリンにしてもジャムにしてもいろいろな商品が有るけど、
ぼくにとっての最高のトーストはどれとどれの組み合わせだろうと、いろいろ試して探している。
でも、最近はその作業が面倒に感じ始めた。
どの商品もそれぞれ美味いのだ。
イチゴジャムでもブルーベリージャムでも味が違う。
そして、食べるタイミングによって美味しく感じたり感じなかったりする。
パンは味の差異はジャムに比べてより微妙だと感じるけど、やっぱりちょっとずつ違う。
しかし、それは自分の体調の変化に比べて味への影響度は小さいように感じる。
仮に、イチゴジャムの方がブルーバリージャムより美味しく感じたタイミングがあったとしても、
次に食べる時にブルーベリージャムが食べたかったら、ブルーベリージャムお方が美味しく感じる、ということ。
大まかな自分の味の好みは有るにしても、それが一生続くのかは分からない。
と言うか続かないように感じる。
そんなあやふやな基準で、ランキングを決めようとしていた。
何となくそれが無理だなと感じられた辺りから、この試みが負担に感じられるようになって来た気がする。
もっと楽しもうと思った。
ベストワンを決めたとしても、そればかり食べるつもりもない。
やっぱりいろいろな味を試したいと思う。
これは経験や感情でも同じだと思うのだ。
最高の経験をしたいと思いがちと言うか。
しかし、それは最高の経験以外したくないという意味ではないだろう。
だとしたら、最高かどうかの判断に何の意味があるのだろうか?
言ってみれば、ランキングを考えるという遊びをしているだけなのだ。
そのことを忘れて、深刻にランキングを決めて、その上位何位までが揃った人生にしなければ幸せじゃない、
と考えてしまうから辛くなるのではないだろうか?
今の経験は今置かれた状況で、今の自分の状態でなければ経験出来ない。
それを他の経験と比べたところで、それが何の意味が有ると言うのだろうか?
全ての経験は質的に全て異なっている気がする。基本的に比べられないと思うのだ。
そもそもそれを比べようとすることに無理が有るのだ。単なる遊びで、自己満足に過ぎない。
裕福な経験と貧乏な経験は、本当は経済的な面だけでは捉えられない、
もっといろいろな要素を含んでいるはずだから、簡単に比較して優劣を付けることは出来ないと思う。
今の幸せを失いたくない、という気持ちは嘘ではないだろう。
しかし、その先に違う幸せが有るという視点は全く抜け落ちていることもまた確かだろう。そして、そういったいろいろな幸せは並べて比較することは出来ないだろう。
体験自体も変わるけど、その都度体験している自分の状態も変わっている。
どの経験が一番良かったか?なんて簡単には比較出来ないはずだ。
それよりも、今置かれている状況、現状を感じ尽くすことの方が大事だと思う。