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自分世界探検家のブログ

人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

安心とか安定というものをどうして求めるのか?
それが無いと思っているからかな?と思った。

 

漠然と怖いと言うか、自信が無いと言うか。

何故か、放っておいたら全ては悪い方向に変化するみたいに信じている、という感じ。

 

記録を残すとか、記憶や思い出を大事にするというのも、

この先良いことが起こらないかも知れないと思うから、

良い景色や良い経験や良い出逢いは無いかも知れないと思っているからじゃないか?と思った。

 

どうして自然に良くなると思えないのかはよく分からない。でも、それがぼくの世界観だったような気がする。

 

最近はあまり聞かないけど、よく年長者が

「昔は良かった。」とか

「最近の若者は…」とか言っていた気がする。

 

これは、過去=既知の記憶は安定していて怖くないけど、現在はどんどん悪くなっていて、

このまま行った未来は何か悪い事が起こるかも知れないから怖い、という在り方から出て来る発言のように感じる。

 

こう書くと、世論について説明しているように感じられる人も居るかも知れないけど、

ここに書いているぼくの個人的意見に過ぎない。

つまり、ぼくはそのように感じていたということだ。

 

しかし、最近だんだん感じ方が変わって来ている。

あまり安心や安全を求めていない、と言うより気にしなくなったという感じ。

 

別に日常が大きく変わった訳ではないけど、たぶんぼくの捉え方が変化して来ている。

 

何も特別なことが起こらない日常が面白いと言うか、何となくいつも楽しく感じる。

先日書いた、幸福になることを望む前に必要なことがあるという気付きが大きいのかも知れない。

 

この気付きの根底にはある世界観が有ると思う。

 

それは自分の世界は自分が創造している、という世界観だ。

良い事も嫌な事も自分が創り出しているようだ、ということが信じられるようになって来たから、

自分が今置かれている状況は過去の自分が創り出したと思える。

現状に満足出来ないとしたらそれは何故か?と逆算して考えれば、

現状は過去の自分が望んだことが現実化しているはずだから、望んでいるものがおかしかったのだろう、となった。

 

過去の自分はそのときの状況に反応して生きているだけだった。

つまり、過去の自分が創り出した現実を体験して、その時に感じた気分で未来を創造する、

ということを繰り返していただけだと思った。これでは基本的に人生は大きくは変わらないと思う。

と言うより、先細りになると思う。だんだんつまらなくなると言うか。

 

 

会社勤めをしている時は辛くて死にたい消えたいと思っていた。

そうしたら、適応障害を発症した。

 

仕事を辞めた後も、自分の内面はあまり変わらず鬱々と過ごしていた。

そうしたら今度は聴神経腫瘍を患った。

何で自分だけこんな目に遭うのか?と自分の運命を恨んだこともあったけど、

これは全部自分が創り出していることだという考えに出逢って、納得し、そして安心する気持ちもあった。

それで、この考えを信じてみようと思った。

 

それから初めて、外の世界ではなくて自分の中がどうなっているのか?に興味を持って観察するようになった。

そして今、状況的にはあまり変わらないけど、内面的には明らかに変化したと感じている。

 

過去の出来事は、世界や自分に対する不信感や怖れが顕現したものだと思えてから、

そういう不信感や怖れの正体が少しずつ分かって来た。

 

今はそれが変化することに対する怖れだと思っている。

変化しない事を望めばそれが顕現化して現状が続くのだろう。

 

しかし、世界も自分も変化するように出来ている。世界の原理と言うか。

この世界の原理に、自分の求めるものである変化しないという状況は合わない。

これはおかしいだろう。

 

ひょっとして、ぼくは変化したいというのが本音で、その本音に気付いていないのではないか?と思った。

そう考えると、何も状況や状態を膠着させる必要はないじゃないか?と思えて来た。

自分が安全だと思えて安心して居られるなら、状況や状態が変わったって良いじゃないかと。

 

そこからこう考えが進んだ。

そもそも現実はどんどん変わっている。膠着しているというのはぼくの捉え方に過ぎない。

なのにぼくだけ止まっていたら、世界から外れてしまう。

安心や安全は実は変化してこそ、世界と一緒に動いてこそ実現可能なのではないかと。

 

安心安定と不変を、ぼくはくっ付けて考えていたのだ。

これらは別のモノなのだ。

 

この気付きの前後から、ぼくの感じ方、世界の捉え方が変わって来たと感じる。

だから、この気付きは本物だと思うのだ。