変化することが怖い。
停滞している現状に飽き飽きしていても、いざこれから大きく状況が変わるかも知れない思うと尻込みしてしまう。
自分でも何でかよく分からなかった。
そこで、自分が何を考えているのか観察してみたので書いてみたい。
変化した後どうなるか予想がつかないというのが怖い。
何か大変なことがあるんじゃないか?と考えてしまう。
変化に対するワクワクはある。でも、怖さの方が大きい。
どうしてそんなに怖いのか?と自問すると。答えは自信がないからと出た。
大きな病気をしてから、体力的な自信は無くなってしまった。
それに伴って、自分の思考や気力や行動力みたいな精神的な機動力のようなものにも自信が持てなくなっているようだ。
こういう自信の欠如が変化を怖がる原因になるのは、失敗を怖れているからだろう。
物事は成功と失敗のどちらかになる、と思い込んでいる。
そして、失敗したら大変なことにいなる、みたいな漠然とした怖れ。
成功とか失敗で物事を判断しているのは、最初は当たり前だと思った。
それは常識だろう、と。
あまり強くこの考えが出て来たので、怪しいと感じた。
そこで考えてみた。
すると、物事は簡単に成功や失敗とは言い切れないことも多いと思い至った。
失敗が経験として後で成功したとか、失敗談で笑いを取れるとか、いろいろなパターンがあるからだ。
また、物事は諦めなければ失敗にはならないとも思った。
物事は成功と失敗のどちらかになるというのは、どうやら思い込みだと分かった。
そう考える癖が付いているだけなのだ。
どうしてそういう癖があるのだろう?
そうすると今度は仕事に対するイメージが浮き上がって来た。
仕事は辛くて大変なものだから、成功すると楽しいけど、失敗すると浮かばれない。
だから頑張って成功を目指すのだ、ということをモチベーションにしてやるのが仕事だ、と出て来たのだ。
今ぼくが望んでいるのは変化であって、仕事じゃないのに仕事のイメージが出て来て驚いた。
人生=仕事となっているのかも知れないと考えてゾッとした。昭和か!
ここまで自分を観察して思ったのは、
結果にこだわらず、やっているだけで楽しいと思えることをやりたい。
そこに身を置くだけで心地良いという場所に身を置きたい。
そう思ったら、なんかホットした気持ちになった。
それで、どうやらこれが本心らしいと思った。
それが叶うとしても、変化は怖いか?と自問すると、答えはNOだった。
自分の本心に辿り着くまでけっこうかかった。
なんとややこしいことをしているのだろう?
なんだこれ?と思って、気付いた。
これは古典落語の「まんじゅうこわい」の変化版「へんかこわい」だ。
遊んでいるのだ。
こんなことして面白いかねぇ。
我ながら呆れてしまった。
こんなことしてるから変化しないんじゃないか?