親しい人への文句って本心かな? | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

家族や同居人、友人、同僚など、身近な人いに対して止めて欲しいとか直して欲しいと思うことがある。

 

食器を洗えだの、

服を脱いだままにするなだの、

トイレを使ったら便座を下げておけだの、

私の前でおならをするなだの、

私の話をちゃんと聞けだの、

長くてオチが無い話は止めろだの。

 

まあ、文句を言いたい側もいろいろ言い分はあるだろう。

自分は正しいと思っているから文句を言う権利が有る、くらいに思っているのではないだろうか?

 

それを止めろとか、我慢しろなんて、他人のぼくが口を出す筋合いでもないし、そんなの余計な世話だろう。

 

そういうことが言いたい訳じゃない。

 

文句が有るのは分かる。

でも、その文句は本当に伝えたいことなのだろうか?ということを問いかけたい。

 

文句の内容は多岐に渡ると思うけど、その大部分の論旨は、

(文句を言いたい)相手の言動が、

(文句を言う側の私の信じる常識・義務・責任などの)ルールに合わない、

だから納得行かないということだろう。

 

そう言うことを言う私は、ちゃんとルールを守っているのに、という注釈も付くのではないだろうか?

だからあんたもルールを守るべきだと。

 

(ここはちょっと深堀したいけど、今回はこのまま話を先に進める。)

 

ルールを守らない人というのにもいろいろなパターンがあるだろう。

ルールを知っていてわざと無視してる人。

ルールを知っているけど、間違った解釈をしている人。

ルールを知っているけど忘れている人。

ルールを知らない人。

 

文句を言う側は、相手がどのパターンでルールを守らないか?なんて関係ないだろう。

ルールを守らないやつが悪い!→ルールを守っている人が注意する権利が有る

くらいの勢いだからね。

 

そして、だいたいルールを守らない人は油断している。

それが、ルールを守って欲しい側から見ると、ふざけているようで腹が立つ!

ここでよく考えてみると、

相手がルールを守っらなかったことよりも、もしかするとふざけているように見えることの方が腹が立つ原因かも知れない。

 

私はしっかりしようと頑張っているんだから、あんたももっとしっかりしろよ!という感じで。

 

あれ?本心はそれじゃない??

 

もうちょっと言うと、私は本当はしっかりしたい訳じゃないけど、しっかりしないといけないから頑張ってしっかりしている。

だから、あんたも同じように頑張ってしっかりしろよ、みたいな。

 

いやいやいやいや。

 

私はプライベートでもしっかりするために緊張感を持って生きてる。

だからあんたも家の中でも、私の前では寛いで(くつろいで)いないで緊張感を持って生活しろ!

そういう風に聞こえる。

 

それは、なんと言うか、八つ当たりじゃないかな?

 

大事なあの人がリラックスして楽しんでいるのに、緊張感が足りないって。軍隊じゃないだから。

自分の大事な人には幸せを望むものじゃないだろうか?

それがよりによって私の前では緊張してろって、幸せで居るなということ??

 

たぶんだけど、そういう感じで何でもかんでも身近な人を責めたくなる場合は、

自分で自分を追い込んでいるからかも知れないよ。自分をルールで縛ってないかな?

 

相手に当たる前に、自分がリラっクスしているか?を自分に訊いてみて欲しい。

 

 

相手に一切文句を言うべきじゃない、と言いたい訳じゃない。

文句を言ってもいいけど、それは自分の本当に望む状態を壊すことじゃないか?と言いたいだけ。

自分の本心に反してしたら、後で後悔する気がするから。

 

文句は相手を責める感じが入っていると思う。

そうじゃなくて、改善して欲しいなら責める感じは入れなくていいんじゃないかと思う。

 

 

最近自分の言っていることを冷静に考えてみて気付いたので書いてみた。