常に自分を監視していて、失敗したら自責の念にかられるということを書いた。
おそらく、人が無意識にやっていることは対象を制限することは出来ないようだ。
する/しないの2択しかないということ。
だから、自分を監視している人は他人も、と言うか世界も監視している。
気付いたら、ぼくは自分を厳しく監視していた。その歴史は長い。
でも、何で監視するのか?その理由は自分でもはっきりしていなかった。
だから、世界に対して不信感があるからかな?世界を敵だと思っているからだろう、みたいに考えていた。
でも、気を抜いたら殺されるかも知れないというような、そんなに切羽詰まった危機感を持っている訳でも無かった。
そうではなくて、人は監視しないと何をやらかすか分からないという考えを信じているからだと今は思っている。世界の秩序を守るために監視し合っているみたいな。
ただ、監視している期間が長過ぎて、監視する基準が厳しくなってしまったのだろう。
子どもの頃は「親に怒られてはいけない」みたいな基準だったのが、
「親+先生に怒られてはいけない」になって、
その内「大人に怒られてはいけない」になって、
「他人に怒られてはいけない」みたいに厳しくなって行ったのだろう。
もちろん、考えてやっている訳じゃない。
長いこと自分を観察することでようやく、無意識でこういうことをやっているようだと言語化出来るようになって来た。
こんなことをやってたら辛いし大変だよな~とつくづく思う。
しかし、この監視の基準が甘くなることがある。
幼児と動物に対しては、失敗を犯しても責める気持ちが湧かないことがあるのだ。
例えば、食事している時に味噌汁をひっくり返した人が居たとする。
それが大人だったら、
「何やってるんだ!」
とか責める気持ちが出易いと思う。
でも、幼児だったら
「しょうがないね~」
とか思って、片付けてあげたりする。
そういう反応の差は当たり前だと思うけど、何でそうなるのか?
味噌汁をひっくり返すとそこらじゅうが汚れるし、他人を驚かすなど秩序を乱している。
こんなことは重力が働く地球で生きる上では基本中の基本で、そんなことも分からないようなら分かるまで厳しく指導しなければとなってもおかしくないだろう。
なのに「しょうがないね~」と思っちゃうのだ。
これが考えても分からない。謎だった。
分かる訳無い。理屈じゃないから。
その出来ないところ、分かってないところも含めて可愛いと思っているので、それ以外の判断を無視している感じと言うか。
判断抜きで守ってあげるべき存在と思っているようだ。
この「しょうがないね~」の気持ちが誰の失敗に対しても出せるようになったら、世界は変わるだろう。
出せると書くと自由自在に出来そうだけど、頭で考えても出来ない。これも無意識でやっているからだ。
ではどうしたらそうなるか?と言えば、自分にとって大事だと決めた人なら「しょうがないね~」と思えるようになって行くみたい。確信は無いけど今はそう思っている。
ぼくの場合は、最初責めていた人、嫌いだった人に対して「しょうがないね~」と感じられるようになるまでかなり時間がかかった。
それは大事な人と決めると言うよりは、自分にとって大事な人だと気付くとか思い出すという感じだった。
最初は当然自分に対して。そして身近な人、ぼくの場合は近親者と広げて行った。
最初に自分に対して「しょうがないね~」と思えるようにならないと他人になんて思えないと考えていたけど、本当はどうだか分からない。順番なんてどうでも良いのかも知れない。
厳密な順番はぼくの場合は、赤ちゃんの方が先だったしね。
それまではその人(自分も含める)の言動が引っかかってしょうがなかったけど、「しょうがないね~」と思えるようになってからは楽になった。監視したり責めたりという自分の中でやっていた無駄な作業が減ったからだと思う。
そうして思うのは、「しょうがないね~」と思えるように変化したぼくの頭の中の世界は、以前とは違うと感じる。
ちょっとだけ世界が優しくなった。
実際に優しくなった者が居るとすればそれはぼく自身だろう。
自分が優しくなると世界が優しくなったように感じる不思議。
だから、みんな「しょうがないね~」と思えるようになれば良いと思うのだ。
何か失敗を犯した人が居ても、その人を責める判断を無視すれば良い。
そうやって全員許してしまったら、世界の秩序は本当に崩れるのだろうか?
その前に世界の秩序は現状で保たれているのだろうか?
世界の秩序って何だっけ?
ああ、概念だから考えに過ぎなかったんだ。実際には無かったんだ。
実際に無いものを守ることって出来るんだっけ?
世界を監視してれば守れるんだっけ?
やっぱりそれは一人遊びと言うか、癖の域を出ない気がする。
だったらその癖を「しょうがないね~」と思う癖に変えても問題は無い、それどころかより良いような気がする。
世界が優しくなったように感じられるんだから。