ぼくは自分で不幸に成ることが怖いのだと思っていた。
しかし、「不幸」というのはレッテルに過ぎないと思うようになった。
実際に今、自分が不幸だと思っていようがいまいが、現状から逃げ出したいとまで思うことはまず無いんじゃないだろうか?
ぼくは数えられる程度しかなかった。
それも、怖れのピークが過ぎたら、状況は全く変わっていないのに、逃げ出したいとは思わなくなるのが常だった。
これからも分かるように、不幸には実体が無いのだと思う。
「不幸だ」と思ったら不幸になるだけ。
逆に言えばどんな状況下に置かれたとして「不幸だ」と思わなければ不幸では無い。
このことから「不幸に成るのが怖い」を言い換えれば、
「不幸だと思える状態になるのが怖い」と言えるだろう。
だから、何があっても不幸だとさえ思わなければ、不幸にはならないと思う。
つまり、「不幸」とは概念だと言うことが出来ると思う。
だから、「不幸に成ることが怖い」と言う場合、怖がっているのは「不幸」そのものでは無いのだと思う。
不幸かどうかは自分がその状態になって感じてみないと分からない。
だから、「不幸に成ることが怖い」を翻訳すると、
「自分の状況や状態が変化した結果、不幸だと感じるのが怖い」になると言う得るだろう。
つまり「不幸という判断になる変化が怖い」ということだと思う。
そう変化が怖いのだ。
不幸が概念なら幸福も概念だと言えるだろう。
これは「幸福に成る」という場合にのみ当てはめられる。
「幸福を感じる」と言う場合の「幸福」は感情になるので、概念では無いと思われるからだ。
そう考えると「幸福に成るのが怖い」ということも有る気がする。
歌謡曲にもそんな歌詞があったような気がする。
この場合も、言い換えると「幸福という判断になる変化が怖い」ということじゃないだろうか。
やっぱり変化が怖いのだと思う。
幸福に成りたいと思っているのに全然成れないという人は、
幸福を望みながら、変化を怖れているんじゃないかと思う。
変化無しで幸福に成りたいと言っているようなものだ。
現状に対する判断を変える為には、
状況を変えるか、自分の判断基準を変えるしかないだろうから、
何も変化させずに現状に対する判断を変えることはまず無理だと思う。
幸福に成りたいのに成れないとか、
叶えたい願いが有るのに叶わないという人は、
それ以前に変化を受け入れる覚悟が出来ていないのではないか?と思うのだ。
幸福を望む前に、自分の置かれている状況か自分自身が変化することを受け入れることが必要だと思う。