薬物中毒とかアルコール中毒とかパチンコ中毒とかワーカホリックとか。
中毒する対象は多岐に渡るようだ。
いろいろな中毒があるだろう。依存も同じだ。
そういう中毒や依存してる対象で見ると、何だかいろいろな原因がありそうだけど、
結局中毒や依存とは特定の刺激を受け続けることを望む状態だと思う。
だから、人が感じること全てに対して中毒や依存になる可能性が潜んでいると思う。
中毒や依存になる原因はその人の中に有るのは確実だろう。
おそらく、何らかの欠落感が原因だと思う。
自分には何かが欠けてる、足りない、欠落感があるからそれを何かで埋めようとしている気がする。
あるいは充分ではない自分と向き合いたくないから刺激を受けて反応し、ロボットのように生き続けたいのだろう。
この説で行くと、自分と向き合う時間を持っていない人はみんな何らかの中毒か依存の状態だと言えるだろう。
自分と向き合わないために何かに中毒か依存するのは、世界共通の流行かも知れない。
実は自分に感じる欠落感は、自分を受け入れていないから感じるのだと思う。
自分を受け入れるためには自分と向き合うしかない。
そして自分をしっかり観察して、そのままの自分を知って行くことで自分を受け入れることが出来ると思う。
自分を受け入れるとは、自分の長所も短所もそのまま認めること。
過剰な期待をしない。言い換えれば諦めると言っても良いかも知れない。
それは地味で地道な作業なので、刺激に中毒している人には苦痛だろう。
しかしこの自分の観察で、ある程度自分が分かって来ると刺激というものにそんなに振り回されなくなる。
刺激があんまり欲しく無くなるのだ。
世の中にはびこっているものはほとんどがこの刺激を提供する娯楽だ。
スポーツや賭け事、テレビや映画や動画といった視聴するもの、音楽やラジオ、小説、クイズやパズルの類、恋愛、買い物。
仕事や勉強も娯楽だと思う。娯楽とは楽しいことばかりじゃないのだ。熱中出来るなら何でも娯楽になる。
最近気付いたけど飲食も娯楽だろう。
娯楽とは、刺激とその刺激を受けることで広がる想像、あえてそれを妄想と言っても良いけど、
その妄想の世界とで成り立っていると思う。
充足感を得るためには、娯楽が必要で、娯楽に浸っていると自分と向き合えない。
自分と向き合わずに自分を受け入れることは出来ないから、欠落感は消えない、
欠落感が有るから充足感を得たくなる。この繰り返しだ。
そして娯楽にはお金が必要なので、働き続けなければならない。
いろいろな娯楽がしたいとなるとそれだけお金が余計に必要となる。
娯楽を全部止められたら、おそらく生きて行くのにそんなにお金は必要無いだろう。
これが利益追求社会を支えている仕組みだと思う。
もしかしたら、自分と向き合って、自分を受け入れる人が増えたら世界は変わるのかも知れない。
という妄想も娯楽の一つかも知れない。