平和ボケの正体 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

検索したりしていろいろな情報に触れる時、

「平和ボケの日本(あるいは日本人)」

というフレーズにでくわすことがある。

 

これが、感覚的に全然分からなかった。

 

この言葉を使っている人は、どうやら外国での生活経験がある人たちのようだ。

ぼくは日本から出たことが無いので分からないのはしょうがないのかも知れない。

 

分からないなりに、聞きかじりの海外の情報から察して、

おそらく世界的に見ても安全で、身の危険を感じることがまず無い国(または国民)なので危機感が無い、

というニュアンスなのかな?と思っていた。

 

隙が多い、注意が足りないという感じかな。

 

別に住んでいる場所が安全なんだから、もしもの危険を想定して身構えて生きなくても良いだろう、と思っていた。

 

しかし、何となく引っかかっていた。そうでは無いのかも知れない。

 

 

最近、来日した外国人や、日本に住んだ経験のある外国人に日本の印象を訊く動画を観るのにはまっている。

 

最初はただ物珍しさしか感じなかったけど、

沢山観ているといくつかのパターンが有るように思えて来た。

 

基本的には、視聴回数を増やすためだと思うけど、日本人に不快感を与えないような内容になっている。

日本に憧れていて、やっと来られて嬉しい、もう帰りたくない、みたいな。

 

来日するまで日本にはほとんど興味が無かったという人もいる。

友人に連れて来られたとか、親に付いて来たとか。

それでも日本に来てから、日本が好きに成ったみたいな流れがほとんど。

 

しかし、そんな中で、日本には違和感を感じるという意見もちらほらあった。

ルールが多い、日本人は我慢強い、日本に住む外国人は作成しなければいけない資料が多過ぎるみたいな意見。

本音と建前が分からないという人。

何かこういう意見を聞いた時に、ぼくの中で何かが反応するのだった。

ここには何か有るな、と感じて観続けた。

 

そして、日本の接客はロボットみたいだという意見を聞いて、

ぼくの中である解釈が浮かんで来た。

 

 

日本はルールが多い。

これは意識しないと分からないけど、たぶん外国に比べると多いのだろう。

 

接客がロボットみたいというのは、マニュアルに従っているからだ。

丁寧というのは、裏を返せばマニュアルに従うということが浸透しているということ。

そして、本音と建前というのは、おそらく日本人が思っているよりも、外国人から見ると建前の範囲が広いんじゃないかと思う。

 

誘われて、行く気が無くても「今度ね」とか「また機会が有ったら」というのが建前と思っていた。

他人が自信満々にやっていることが上手いと感じなくても褒めるとか。

 

こういうことをぼくは自動的にやってしまうようになっていた。

そして、本当は「行きたくない」とか「上手くない」と思っているけど言う訳にはいかない。

言ったら場がシラケるとか、雰囲気が悪くなる、みたいなことが本音だと思っていた。

 

果たしてこれは本音なのか?

たぶん、本音というのは何で行きたくないのか?何で上手いと思わないのか?というところまで、

自分の核心に触れる所まで分かっていないと本音じゃないのかも、と思った。

 

本音と建前と表現されているけど、その中身は、

「自分のことを分かっているか?」

ということなんだ、と思うと今までの違和感が解消した。

 

言い換えると、その時自分が感じていることをどれだけ深く汲み取れているか?と言うか。

 

ぼくも含めて多くの日本人って、

自分の感じていることを無視して、条件反射で、マニュアル的な生き方をしている、と思えた。

 

条件反射で生きるということは、こうだったらこう、みたいにケース別に対応が決まっている感じ。

そういう人は自分で判断することを極力無くしたくなる。

あるいは、状況をマニュアルに照らし合わせて対応方法を導き出すことを自分で判断することだと勘違いしている。

だからルール化してマニュアルにまとめてくれた方が楽なのだ。

 

自分がそうだから、他人もステレオタイプの、予想出来る反応を示す人が楽。

逆に言えば、ルールやマニュアルを守らない人、意外な動きや見たこと無い見た目など、

自分の常識(マニュアル)の範囲からはみ出している存在は困るのだ。

 

そう考えると、自分の中のいろいろな謎が理解出来る。

 

何で自分に関係無い犯罪の容疑者や犯人に腹が立つのか?

ルールを破るということが、ぼくの想定している世界の秩序を破っているから、そういう存在は困るからだ。

もっと言えば、自分の秩序を破る=マニュアル通りに動かない人が存在するということが怖いのだ。

 

自分の感じている事よりも、マニュアルを遵守することを優先する在り方のことを、

ある種の外国人は建前と捉えているんじゃないか?と思ったのだ。

 

そう考えると、前に書いた、

誘われて、行く気が無くても「今度ね」とか「また機会が有ったら」と答えたけど、本当は「行きたくない」と思っているけど言う訳にはいかない、そう考えるのが良いと思っている、というのは全部建前かも知れない。

本音は、全然別のことを求めているのに、そこまで自分で汲み取れていないのかも知れない。

そう考えてゾッとした。

 

一体何のために生きているのだろうか?

 

当然、人が違えば感じ方も違うし、言葉の使い方も違う。

だから、全ての外国人がこんな風に考えている訳では無いだろう。

もしかしたら一人も考えていないかも知れない。

 

来日した外国人の、日本に対する違和感について話している動画を観て、ぼくがそう感じたという話。

 

しかし、そう考えると冒頭の平和ボケとは、

マニュアルを遵守していれば大丈夫、と信じていることだと解釈すると、妙に腑に落ちる気がするのだ。