感情を区別しているのは思考 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

感情ってエネルギーだと思う。

 

出て来て時に感じ切ってしまえばおしまい。

しかし、感じないで我慢しちゃうと抑圧することになって、自分の中に残る気がする。

そういう抑圧された感情はエネルギーとして蓄積されるように感じる。


だから、しばらく溜め込んでいた感情は、
感じようとすると、その激しさは感じられるけど、具体的な説明が付いて来ないから何だか分からない。

感じようとしても痛みと言うか熱と言うか辛さと言うか、エネルギーの大きさを感じるだけだと思う。

個人的な経験では。

感情を具体的に味わうには、ストーリーが必要なんだと思う。
つまりその感情に対する説明が付いていないと細かくは分からない気がする。

例えば、自分がミスした時に、目上の人に「バカ」と言われたとする。

イラッとしたけど、自分が悪いし他人に迷惑をかけたから怒る訳にも行かず、我慢したとする。

この時の「イラッ」はおそらく抑圧された怒りとして自分の中に残る。

しかしそれは怒りのエネルギーだけが残るから、これだけを取り出して味わったとしても、強い感情としか分からない。

どうやらそれがどういう感情か?というのは思考によって決めているのだと思う。

だから思考が判断するための情報が無いと、何の感情か分からないようだ。

そして、説明が付いている感情は無いと思う。
説明が付いているのは、漏れ無く感情もどきだろう。

つまり説明が付いているのではなくて、上司に「バカ」と言われてイラッとしたという記憶を、何かの拍子に思い出して、

思い出したことによって新たにイラッとしたという訳。

これは本当に感じた感情じゃなくて、記憶に反応して出て来たから感情もどきだ。

こうやって出て来る感情もどきは、いくら感じても自動的に量産されるので尽きることが無い。

また同じことを思い出したら、同じようにイラッとするのだ。

だから感じようとすればいくらでも感じられる。終わりが無い。
そんなのは消耗戦だ。あまり意味が無いと思う。
 

だから、その感情もどきの元になっている、自分が信じていることを知って手放せば感情もどきは出て来なくなる。

 

話が逸れた。

 

蓄積された感情を感じた場合はどうなるか?

 

ぼくは何か怒り易くなっているとか、何だか不安だったり、心細いように感じることが多いと感じると、

その感情のエネルギーが溜まっているのだと思っている。

 

だから、その頻繁に感じる感情を呼び起こす。

例えば怒りだとすると、自分の中の怒りの感情に話かけて外に出そうとする感じ。

すると、お腹の辺りに力が入って、それが上半身に広がって、身体が少し熱くなる。

何か闘争心のような、エネルギーがみなぎるような感じが数秒から数十秒くらい続きておしまい。

その後は力が抜けて楽になる。

 

怒りや悲しみみたいなネガティブな感情を抱くと心が疲れるということは無いだろうか?

あれはたぶん感情を感じることによって疲れているのではなくて、

その感情に付いて来る思考が自分を責めたり、怒りをあおるから、その思考で疲れているんだと思う。

 

喜ぶと元気が出るのも仕組みは同じで、

喜びという感情で元気が出ているんではなくて、

それに付いて来る思考によって元気が出ているんだろうと思う。

 

今の所の個人的な意見なので、特に証拠も無いし、

もしかしたら将来はこの見方は変わるかも知れない。