有料道路を使って、通行券を失くしてしまった。
こんなことは初めてだ。
最近はETCを使っているので、通行券をもらったのは久しぶり。
それにしても、ちゃんとしまっておかなかったのはうかつだった。
乗ったのは2区間だけだけど、途中でPAに入ったのでそこで落としたのだろう。
気付いたのは支払いの直前。
この時の自分の反応に驚いた。
そのことを書きたい。
* * *
あ~通行券が無いや。
まいったな、失くしちゃったのか。
料金はこの有料道路の始発から取られるかも知れないな。
とは言え1万円はかからないだろう。
高くついてしまったなあ。
* * *
思ったのはこんな感じで、気持ちものんびりしていた。
明らかな失敗をしたのに、こんなに穏やかな気持ちで居られたことがびっくりした。
ぼくの知っている自分は、失敗に対して全く寛大では無かったのだ。
失敗は大小じゃなくて、失敗したということが問題だと思っていました。
1度犯した間違いは、また犯す可能性が大きい。
その時には大きな間違いを犯すかも知れない。
そんな感じなので、失敗することが怖ろしいと考えていた。
だから、通行券を失くすなんてまずやらないし、
そんなことになったら、
自分を責め、運命を呪い、対処してくれた高速社員に申し訳なく思い、高速道路の集金システムを呪い、
平常心では居られなくなって居たはずだ。
それが今までのぼくの「普通」だったのだ。
この状況に対する反応の変化は、
おそらく日頃、不要な信念を手放し続けて来た効果だと思う。
信念というのは、ぼくは潜在意識に在ると思っている。
だから信念を手放すと言うのは簡単だけど、本当に手放せたかどうかは顕在意識では分かり難い。
それを今日のミスで一気に見せつけられた気がした。
不要な信念を手放すということは潜在意識を変えるということ。
だから無意識で行っている、自分にとっての「普通」な反応が変わってしまうことがある。
「普通」の反応は顕在意識で行っている訳では無い。
だからとっさの時にも働くのだと思う。
上に書いた、自分を責めるとかはぼくにとって「普通」と言うのは勝手に始まるとも言える。
何かしらのミスを犯すと、そういう無意識から攻撃にさらされる状況下で生きて来たのだ。
ぼくは本来、しっかりしていないのだろう。
どこか抜けているほわ~んとした性格なんだと思う。
それが競争社会で生きて行くとなった時に、
自分を追い詰めることでしっかりするというやり方を編み出したのだろう。
ミスすると嫌な気分になるのでミスをさけるようになる、という感じ。
それは平穏を捨てて、しっかりした性格を手に入れたと言うことだと思う。
それは潜在意識に造り上げたシステムだったのだと思うけど、
それをここ何年もかけて解体して行ったのだ。
そしてその結果を今日実感することが出来た。
失敗しても落ち込んだり、起こったり、怖くなったりしない。
そんな経験は今まで記憶に無い。
おそらく他の人はそれが「普通」なのだろう。
そうだとしたら、それは素晴らしいことだと思う。
ぼくのように努力しないとそう成れない人も存在するのだから。
それまでにぼくは人知れず地獄に居たようなものだと感じる。
ぼくの勝手な憶測だけど、
ぼくのようにミスを犯すと平常心では居られなくなる人は日本国民の何割かを占めているんだと思う。
長い文章で説明して来たけど、
何のことだか分からないと思った人は幸せだという話だ。