無駄な努力を続ける原因 | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

遠慮とは何か?
ネットで調べたらこう出て来た。
『他人に対して、言葉や行動をひかえめにすること。』

 

自分チャンスや利益を取らないで人に譲ることのように思う。

何となく奥床しく、良いことのように思っていた。

 

ぼくにとっての遠慮とは何か?と自分の中を観察してみた。

 

他人に迷惑をかけてしまうようなビジネスをしても良いのだろうか?
自分のため利益だけを求めて、金の亡者になっても良いのだろうか?
そう思うからエイヤ!とやっちゃえない。

 

何か後で後悔したり、損したりしないだろうか?

この思いが強いと感じる。
結局、後悔や損が怖いのだ。

後悔や損するのが怖いから、遠慮というパフォーマンスをしていると言うか。

ぼくにとって遠慮とは目的があってすることだと分かって、その本質は取引きだと思った。


つまり、遠慮する時は自分が思った通りの言葉や行動を取るよりも、

控えめにした方が得するという計算が働いているようだ。


その計算に絶対の自信を持っていて今まで遠慮しまくって来たけど、本当に遠慮した分得しているのだろうか?
改めて考えると、そんなことは無いような気がする。

そんなことで得られる得は、子どもの頃大人に怒られないとか、

他人に譲ることで良い子だと思われるとか、

それから何だ?えっと、

あれ?

それ以外思いつかないぞ。何てことだ!

ぼくは大人に怒られるのが嫌で遠慮してたのか!

良い子だと思われたくて遠慮してたのか!
ぼくを怒るような大人はいないし、怒られたらからとうだと言うのだろう。

良い子だと思われたからどうだというのだろう。

子どもにとっては利益かも知れないけど、

大人のぼくにとって良い事あるのだろうか?

結局他人にとって都合が良く動く、人畜無害な存在だと思われるだけじゃないか?

そんなことのために自分の言動を控えめにして来たのか!

大事な判断が、何故か子供の頃の判断基準で止まっていたのだ。

それに気付かずに大事にその基準を守って生きて来たのだ。
自分の中にどんな信念を抱えて生きて来たか?

それは出来るだけ早く知った方が良いと思う。

 

そして、不要になった信念は気付いた時点で手放すことが必要なのだ。

そうしないと、ぼくのように無駄な努力を続けることになるかも知れない。